愛盲時報 第188号号外(テキスト形式・全文)
愛盲時報 第188号号外(平成13年9月10日発行)
1.巨星墜つ 村谷昌弘日盲連名誉会長逝く
視覚障害者運動の先頭に立つ
葬儀は9月11日 「お別れ会」は後日
1948年の日本盲人会連合(日盲連)結成以来、50余年にわた
り“日盲連の顔”であり続けた村谷昌弘日盲連名誉会長(日本盲人福
祉委員会理事長)は9月8日午前0時12分、大腸がんのため入院先
の東京・新宿区の国立国際医療センターで死去した。80歳。
お通夜は10日午後6時から東京都中野区上高田1-2-9の高徳
寺(電話03-3368-6947)で、葬儀は翌11日の午前11
時~12時、同所で行われる。自宅は東京都江戸川区船堀3-5-1
7-1201。喪主は長男の村谷正美(まさみ)さん。
なお、日本盲人会連合、日本盲人福祉委員会、JBS日本福祉放送
合同の「おわかれの会」は後日(未定)行われる。
2.“日盲連の顔”だった村谷さん
まさに巨星が墜ちた。
村谷名誉会長は太平洋戦争のインパール作戦(1944年)で負傷
失明し、戦後1948年(昭和23年)8月18日に組織された視覚
障害者の団体・日本盲人会連合の結成に加わった。以来、事務局長、
常務理事、副会長を勤め、1980年から20年間、会長として、以
降は名誉会長として、まさに今日ある日盲連の“顔”であり続けた。
また、1995年から1997年まで日本身体障害者団体連合会の
会長を兼務するなど、わが国の視覚障害者(児)福祉、身体障害者
(児)福祉を築き上げたひとり。1949年の身体障害者福祉法の制
定に始まり、障害福祉年金(現在の障害基礎年金)を盛り込んだ19
59年の国民年金法の制定、1960年の障害者の雇用の促進等に関
する法律、1970年の障害者基本法、1994年のハートビル法な
どのあらゆる障害者対策の立案にかかわった。
一方、日盲連組織としては、1964年に大阪から東京に事務所を
移し、1966年には現在地に日盲福祉センターを開設、点字出版、
録音テープ製作、点字図書館、盲人用具あっせん販売、インターネッ
トを利用した点字情報ネットワーク事業などを運営する視覚障害者の
一大拠点を作り上げた。
また、世界盲人連合(WBU)の執行委員やWBUアジア太平洋地
域のマッサージ委員会委員長を務めるなどの国際交流にも貢献した。
これらの功績に報いるため、日盲連は村谷名誉会長の胸像を作成、
さる8月18日の第54回日盲連結成記念日に、その除幕式を盛大に
行ったばかりだった。ただ、村谷名誉会長は健康がすぐれず、前日の
17日から入院、除幕式には欠席で加療中だった。各方面で村谷名誉
会長の死を惜しむ声が高い。
1978年藍綬褒章、1991年勲三等旭日中綬章を受章。
3.村谷さんを悼む人たち
日盲連の名を汚さぬよう誓います
日本盲人会連合会長・笹川吉彦
村谷名誉会長ご逝去の報を受け、「巨星墜つ」の思いでいっぱいで
す。村谷名誉会長は昭和23年日盲連結成準備段階から参画し、50
余年の長きに渡り、その推進力となって今日の我が国の障害者福祉を
確立されました。その偉大な業績に心から敬意を表し、感謝申し上げ
るとともに、ご冥福をお祈り致します。日盲連の名を汚すことのない
よう頑張ることをお誓いいたします。
障害者運動の先頭に立った村谷昌弘さんの死を悼む
衆議院議員・八代英太
インパール作戦で失明し、戦後、廃墟の中から失明者のために、い
や全ての障害者のために新たな戦線へ復帰され、今日まで日本の福祉
のために尽くされた偉大な指揮官を失って、いま言葉もなく、無念で
す。長い戦いの疲れを天国で癒しつつ、私たち後輩の新たな光となっ
て、道を照らしていただきますよう、謹んでご冥福をお祈り申し上げ
ます。
声なき声の代弁者村谷先生の冥福を祈る
日本盲人福祉委員会会長・板山賢治
村谷先生は戦後50年、視覚障害者運動の先頭に立ち、声なき人の
声を代弁、今日の視覚障害者福祉、ひいては障害者福祉を築き上げた
ひとり。まさに巨星墜つ感じで、心からご冥福をお祈りします。
使命感に溢れた方だった
日本盲人社会福祉施設協議会理事長・本間昭雄
私たちの中心を亡くした思いです。それほど大きな存在でした。使
命感に燃えた方で、信念の強さにかねがね敬服していました。豪傑肌
の人でしたが反面、人情味のある方でもありました。心からお悔やみ
申し上げます。
押しの村谷さんの死を悼む
日本点字図書館会長・本間一夫
皆んな、逝ってしまうんだね。村谷さんは戦後50余年にわたり、
ひたすら日本の視覚障害者の先頭に立ってきた人だった。大きな声で、
視覚障害者を激励、ひっぱってきた人で、気力というか、たいした人
だった。“押しの村谷”だった。盲人運動家としては、かけがえのな
い人だった。心からご冥福をお祈りします。
視覚障害者を心から愛した人
日盲連顧問(元副会長)・樋口四郎
日盲連結成に一緒に立ち上がった1人として、残念です。心からご
冥福を祈ります。個性豊かに、視覚障害者を心から愛した人でした。
私も何年か村谷さんと一緒に視覚障害者運動の先頭に立ちましたが、
“なせばなる”というか、“やってやろう”という気を起こさせる人
でした。惜しい方を亡くし、言葉もありません。