「幸せのシッポ」 福井県  三ッ井(みつい) 秀生(ひでお)  心身に重い障害をもつ子どもたちの、発達援助という仕事に就いてから数年が経った頃に、彼女は就職してきました。プレイルームで子供たちと遊ぶ私を見て、「あっ、あの人がここにいる」と、彼女は初対面にもかかわらず、奇妙で、どこか懐かしいような思いがこみ上げてきたそうです。  そんな昭和50年代半ばの、ある夏の週末でした。勤務先から1kmくらいのところに小さな海水浴場があり、そこで職場の仲間たちと、キャンプをすることになりました。テントを4張り設営し、海で泳いだりゴムボートを出して釣りをしたり、そして定番のバーベキューをするなどと、賑やかなひと時を過ごしました。  その夜も更けた12時頃に、彼女が「慣れていない道なので、職場まで車に同乗して欲しい」と言ってきました。私は彼女が運転する車の助手席に乗り込み、浜辺を出発しました。  海岸から畑の中の一本道を上り、丘の上に達すると、今度は松林の中を数百メートル下って国道に出るだけの、迷いようのない単純な道なのです。ところが、松林の中の一本道をどれだけ下って行っても、国道に出ないのです。「おかしいな?」と思っていると、今度は濃い霧の中に車が入っていき、車は最徐行でノロノロとしか前進できません。しばらくすると、前方に光が見え、こちらに近づいてきました。「車のヘッドライトだ」と思った私は、車を止めてもらい、車外に出て、両手を振ってその車を止めました。そして、ドライバーに、「国道は、もう少し先ですか?」と尋ねると、ドライバーは怪訝な顔で「国道は、そこですよ」と言って、私たちの車の後方を指差しました。振り向いて見ると、数十メートルほど後ろに、何と目指す国道があったのです。  「私たち、キツネかタヌキに化かされたのよ、きっと」と、どことなく楽しそうに彼女は言い、無事に職場に帰着しました。  そんな不思議体験を共有した私と彼女は急速に接近し、そして結婚。私の視力障害のことを彼女は、「肌の色や性格と同じで、それはあなたの個性だと思うの」と、気にしている様子はなく、また彼女のご両親も祝福してくれました。それから二人の楽しい生活が始まりました。当時の私は、まだ墨字が読める程度の視力が残っていましたので、仕事は勿論ですが、余暇にはマラソンやスキー、それに旅行などと、二人で積極的に生活をエンジョイしていました。そして毎年、夏になると、二人を結びつけた、あの不思議体験が夫婦の話題に上がりました。  ところが、充実した生活を送っていたある夜のことでした。夕食の後片づけをしていた妻が、突然、キッチンで、崩れるように倒れたのです。意識はしっかりしていましたが、動悸と息切れ、強い不安感、それに下肢の脱力などを訴えたので、直ぐに入院となりました。でも翌日からの循環器科や脳神経外科など診療各科での検査で、異常を示すデータは出ません。医師は「原因が分かりません」と言うだけで、治療方針は安静にして様子をみる≠ニのことでした。それならばと退院して、家庭療養に切り替えました。妻は勤務先に、休職届を出して療養に専念しましたが、症状は改善しません。夫婦にとって、苦しい時間が流れました。  そんな時に、知人がメンタル・トレーニングの教室を紹介してくれたので、藁にもすがる思いで兵庫県の教室まで出掛けて、トレーニングを受けました。妻は長い距離をまだ一人で歩けず、階段の昇降も出来ないので、私が杖≠ノなって、JR線などを乗り継いで、片道2時間半をかけ、月2回、通いました。トレーニングは、呼吸法や音楽を使ってのリラクゼーション、それに、意識の焦点を病気≠ゥら健康≠ヨシフトさせていく内容でした。  妻に「健康を取り戻し、もう一度復職してしっかりと仕事をし、前を向いて職場を後にしたい」という強い意志が芽生え、3ヶ月くらい経った頃には、みるみると健康を取り戻していきました。そして、見事に復職を果たしました。  妻に降りかかった体調不良は、私たち夫婦に苦難≠ニいう試練をもたらしましたが、しかし同時に、夫婦の絆を強め、お互いを思いやる気持ちを、より大きく育んでくれました。苦難が生み出してくれた幸せの副産物≠ノ感謝しました。  あの時から月日は流れ、今、私たちは年金生活に入っています。暮らしはつつましやかですが、二人とも健康で穏やかな日々を過ごしています。我家から徒歩で5分圏内に、娘たちや義妹、姪たちが暮らし、交流も頻繁です。更にウォーキングや川柳作り、太極拳やユニバーサル・スポーツの卓球バレー≠ネどを趣味として、心豊かに日々を楽しんでいます。また、妻は家庭菜園で収穫した野菜などを、ご近所に配って、地域とのつながりも大切にしています。  そんな充実した毎日なのですが、しかし、私の脳裡に、小さなシコリのように、ある疑問が残っていることに気づいたのです。それは、あの遠い夏の夜の不思議な体験です。妻はあれを「私たち、キツネかタヌキに化かされたのよ」と言いますが、「キツネかタヌキに化かされたのは、私だけではなかったのか?」という基本的な疑問なのです。  ですから、キッチンに立ち、懐かしい青春ソングなどをハミングしながら、食事の準備をしている妻の後ろ姿を、フッと見てしまうのです。平穏な日常に気を緩めた妻が、つい油断して、ポロリとシッポを出してしまうのではないかと。