「ブラインドマジシャン」 新潟県  藤田(ふじた) 芳雄(よしお)  「さあ、それではいよいよ視覚障害者、ブラインドマジシャンのマジカル・ふうの登場です。どうぞ皆さん、大きな拍手でお迎えくださァーい!」  ステージ袖のカーテン脇に控えていた私の足が思わずすくむ。そして脇に居たマジックの先生であるバーディー山井さんに「さあ、行ってらっしゃい!楽しくね。」と肩を叩かれ、少しひきつった顔から気持を入れ替えて思い切りの笑顔を作ってステージに向かう。  紳士帽を斜めにかぶり、いつもの白い杖をレインボーカラーの派手な色の杖に持ち替えると、係員のひじにつかまって颯爽?とステージの中央に進んだ。ホテルの最上階にある400人ほどが入るホールは、既にほぼ満席。「ワン・ツー・スリー・」かけ声とともにレインボーカラーの杖を振り上げると… 杖があっという間に大きな花束に早変わり!  私がマジックを始めたのは今から7年ほど前、70歳を目前にした頃だった。その頃、私は視覚障害者団体の代表として長岡市の社協の評議員をしていた。その社協の企画でボランティア育成講座のひとつとして、マジック講座が開かれた。私は年甲斐もなく、と言うより自分が視覚障害であることを忘れ、受講生の一人としてすぐに手を挙げた。子供の頃から大好きで、町内で手品があると聞くとどこへでも出かけて行った。それが失明で一度はあきらめていたマジックだった。もちろん、主催者側の社協は迷うことなく受け入れてくれたが、後で聞いた話によると、講師のバーディー山井さんはその時、大いに悩んだらしい。そもそも見えない人が目の見える人を相手にマジックをやれるのだろうか?やれるとしてもどうやって教えたらよいのだろうか?迷いは尽きない。連続講座が終わって、受講生の多くはその後、社協のボランティアサークルを作って練習を重ね、地域の集まりなどで披露していた。  しかし私には当然、皆さんと一緒に講師の先生の姿を見てマネし、覚えることはできなかった。こうして山井さんによる私の個人レッスンが始まった  カードを操る師匠の手に触れ、曲芸の二人羽織よろしく、師匠の後ろから抱き着くようにしてその動きを確認する。山井さんの厳しい声が飛ぶ。「人に見てもらうのだから障害の有る無しは関係ない。甘えは許されない。」と言う。「目が見えないのだから…」そんな言い訳は通用しない。私は来る日も来る日も少しの時間をみては練習を重ねた。見えるマジシャンの3倍は練習しただろうか。目で確かめられない所を指先で確認する。動きを体に覚えさせるまで何回も何回も繰り返した。こうして1年ほどが経ち、どうにか人並みのマジックができるようになった頃、マジックショーの前座の話がきた…  ステージの上ではBGMがポールモーリアの「オリーブの首飾り」からグレンミラーの「インザ・ムード」に変わった。手に持った3枚のディスクの色が次々に変わる「レインボーディスク」から手に持ったボールが指先の間で次々と増える「シカゴの四つ玉」にプログラムが進んだ。2個、3個… 手を開くたびに赤いボールが指の間で1個ずつ増えていく。その度に客席から「おーっ」という驚きの声とともに拍手がわき起こる。思わず笑みがこぼれる。「これだ、これだ」。観客の表情を見てとれない私には、この驚きの声と拍手の音が何よりも頼りになる。とりあえずうまくいっていることを納得する。ステージの上の私のマジックは次第に熱を帯びてきた。  そもそも視覚障害の私にとって、最も苦手なマジックのひとつはシルクだ。シルクのハンカチは触った感覚がほとんど無い。指先での確認がしにくいのだ。そしてもうひとつがこのボールのマジック。演技中に落として、どこかに転がっていったらまずどうしようもない。あきらめるしかないのだ。もちろん、練習の時もその通りで、手探りで探して、「あった!」と思った瞬間、ボールはもうどこかに転がって探しようもない。仕方なく私はボールのマジックの練習の多くを就寝前の布団の中でやることにした。ここなら落としたとしてもまず大丈夫!  ところで見える人のマジックの練習は、多くは鏡の前だ。鏡に向かって自分の所作やネタの見え方を確認する。それができない私には妻が鏡の代わりとなってくれる。私の動作を見て細かな指摘が飛んでくる。「それじゃ、タネがまる見えよ!」。私の動きを声も無く静かに見守っていた妻から鋭い声が飛ぶ。時に師匠の山井さんより厳しくて怖い存在でもある。  そしてまたステージではBGMが変わり、次のプログラム、「ファンタジーライト」が始まった。私は空中に手を伸ばし、右手の指先に赤い光をつかみ取り、それを空中に投げ上げては目で追いながら反対の左手で受け取り、それをまた投げ上げては目で追って反対の手で受け取る。もちろん私の目には見えてはいないし、光など飛んではいないのだが、それをまるで飛んでいるかのように、そして見えているかのように目で追い、タイミングよく受け止めるのだ。私が目で追うと観客も一緒に目で追い、見事キャッチすると大きな拍手がわく。師匠は見えなくても目の動きはマジックの大切な要素だと教える。観客はマジシャンが見ているところを見る。逆に言えば見られたくない所には目をやらず、それとなくやり過ごす。まさにマジックは心理作戦なのだ。  ところで見えない事はマジックにはマイナスか。いやいや、どうやらそうではないらしい。ある日、ラジオで歌舞伎俳優とフィギュアスケートの選手の対談を聴いた。すると、二人とも自分の踊り、スケートの練習の時には鏡は一切見ないという。私は驚いて話の続きを聞いた。すると二人とも鏡を見ながら練習することで、チェックはできる代わりに視線が生かされず、大切な仕草や所作が生きてこないのだという。こうしてみると私のマジックの練習は的を得ているし、見えないことが逆にマジックには大いにプラスになっていると言える。  3本のロープが一瞬でひとつの輪になる「マルチカラーロープ」、そして「消えるコーラボトル」と、無事にプログラムが進んで、ステージではいよいよフィナーレが近づいてきた。私は胸ポケットから白いシルクのスカーフを取り出し、上に振り上げたかと思うと、サッと降りおろした瞬間、スカーフは白い杖に変わってしまった。私はその白い杖を突きながらニッコリと一礼して、悠々とステージを降りた。足の震えはもうとっくに止まっていた。  私は今、このマジックを引っ提げ、年に10数校の小学校を訪れている。不思議なことが大好きな子供たち、驚きの声と大歓声を受けて小学校3年生の心をグイとつかんだ後は、視覚障害者の暮らしや福祉のお話、そして人を差別してはいけないこと、ちょっとした努力と工夫さえすれば誰にだって、何だってできない事は無いことを話す。こうしたある日、マジックを見終えた女の子のひとりが、近くに寄ってきて、「藤田さん、本当は見えるんでしょ」と言った。意外だった。見える人の何倍も練習した結果、視覚障害者らしくなくなったのだ。その結果、目の見えるマジシャンとどこが違うのか。不思議さも半分になった。  帰宅して師匠の山井さんと相談した。「どうしたらうまく失敗できるのだろうか」。と…