「盲導犬と暮らした日々」         長崎県  村上(むらかみ) 暁子(あきこ)  私は時々夢を見る。それは、盲導犬と歩いている夢であったり、再び我が家に、盲導犬が来るようになるという夢であったりする。それは嬉しいようでもあり、困惑するような夢でもある。なぜなら、現在の私には、盲導犬を使いこなす体力もないし、歩行速度も落ちているからである。  私が、盲導犬を欲しいと思い始めたのは、1977年頃であった。その頃は独身で、実家におり、治療院を開業していたのである。その年、当時の東京盲導犬協会(現在のアイメイト協会)に、申込書を提出していた。しかし、直ぐには順番も来ないので、翌年結婚した。間もなく二人の子供たちが生まれ、家事・育児に追われる日々となった。子供たちが、少し大きくなった1981年に、再び申し込みをしたのであった。  それから4年経った1985年になって、ようやく待ちに待った盲導犬をもらえることになったのである。長女は既に小学校に通っていた。長男は、保育園の年長組にいた。そのようにまだ幼い子供たちを、夫に託し、私は待ちわびた夢の実現に向かって、東京へ旅立ったのであった。  東京盲導犬協会の雰囲気はとても和やかで、理事長を中心に、愛と暖かさの感じられる場所であった。初めて私のパートナーとなる犬と出会ったときの感動も、忘れられないものであった。黒のラブラドール犬で、既に2歳になろうとしていた。その犬と、初めて外へ出て、歩き出したときの喜びも、忘れられないものである。一人で歩ける喜びに、思わず笑いがこみあげてくるのであった。もちろん、訓練は楽しいことばかりではなかった。何しろ初めての経験なので、わからないことも多く、歩行指導員に、叱られることも度々であった。  それでも何とか4週間の訓練を終え、無事に盲導犬のブバリアを連れて、諫早市へ帰ることができた。子供たちも元気で、私たちを喜び迎えてくれた。両親も、初めて間近に見る盲導犬に会おうとして来てくれた。盲導犬は、まだ珍しい存在であった。目にする人々は、「犬がきれい」と口々に言ってくれたものだった。私は誇らしい気持ちで、ブバリアを連れて歩いたものだった。彼女の仕事は、長男を保育園に送迎する私を、助けることであった。夏休みのラジオ体操にも、一緒に出かけた。その他、小学校の授業参観にもお供してくれた。目の見えるお母さんたちの中に、見えない私が一人ぼっちでいても、ブバリアがいるだけで、心が落ち着き、目が見えるような気がしたものだった。ラジオや、テレビへの出演、小学校や、中学校へもお話に出かけた。その翌日は、ブバリアの便が柔らかくなるのが常であった。彼女が、知らない場所に行き、多くの知らない人たちの中で過ごすことに、気疲れしているのだろうと、かわいそうに思うことがよくあった。  彼女は、10年間我が家にいて、働いてくれたが、12歳になって、高齢のため、引退させたのであった。  1995年にもらった2頭目の犬は、スザンナと言って、イエローのラブラドールであった。この犬を、多くの人たちは、美人だと言ってくれた。子供たちは、すっかり大きくなり、彼らのために、スザンナを使うことはなかったが、今度は、両親のために、実家へ通うことが多くなった。学校への講話も更に増え、県内の小・中・高校を回った。1998年には、母が亡くなり、一人暮らしの父に、夕食を届けるのが、私とスザンナの役目となった。  そんなある日のこと、私たちは実家を出て、帰り道に向かった。そこは急な坂道になっており、私たちは、毎日そこを上り下りするのであった。その日、下から登ってくる車の音を私は聞いていた。急な坂道なので、スピードは出さないだろうと思いつつ、道路を渡って、左端に行こうとした。しかし車のスピードは意外に早く、私たちが横断する頃には、車の直前を横断する状態になってしまった。私たちは無事渡り終え、何事もなかったかのように、坂道を下り始めた。そのドライバーは、どんな顔をして、私たちを見ただろう。なぜあんなにスピードを出したのだろう。盲導犬という物を、試してみたのだろうか。  よく働いてくれたスザンナも、10年経った2005年に、引退させざるを得なかった。まだ元気ではあったが、いつまでも働かせるわけにもいかず、お別れしたのである。彼女を引き取ってくださったのは、中学校の講話に、毎年連れて行ってくださっていた社協の方であった。  最後の犬は、2005年に出会ったアンジェラというイエローのラブラドールであった。彼女も、優秀なおとなしい犬であった。実家へ通うことや、学校へお話に行く仕事を、彼女もしてくれた。郵便局までの散歩も、毎日の日課であった。東京へ行くときなども、お供してくれていた。そんな彼女と、10年間は一緒にいたいと思っていたのだけれど、7年で、アンジェラとの生活を終わらねばならなくなった。スザンナのいる頃から、間接リウマチを発症していた私であったが、2012年になって、それが悪化し、歩行困難となったのである。アンジェラを散歩させることもできず、体の手入れをしてあげることも難しくなってきた。そんなわけで、2012年のクリスマス頃に、彼女を東京へ帰すことにした。かわいそうではあったが、我が家にいても、運動もさせてやれず、どうすることもできないのであった。それで、アイメイト協会にお願いし、年内にアンジェラを送ることにしたのであった。  別れの日は土曜日であった。彼女だけを飛行機に乗せて、東京へ行かせるのである。これまでは私の足下で、寛ぎながらの旅をしたのであるが、今回は、貨物扱いの一人旅である。おとなしい犬だけれど、おりに入れて送らなければならない。アンジェラと、おりを乗せて、空港まで運んでいった。いよいよ別れのときとなり、おりに入れた。狭いおりに入れられ、彼女は不安そうであった。出てこようともした。しかし、心を鬼にして、その場を離れなければならなかった。この理不尽な出来事を、彼女に話して聞かせることもできず、係員に委ねて、置いていくよりほかなかったのだった。東京には、お迎えにきていただくことになっていたので、無事に着くことを願いつつ、空港を後にした。  盲導犬との27年間は、素晴らしい日々であった。彼女たちがいつも私の傍にいてくれたことは、私の個性となっていたような気がする。その後も、何度か学校へ行ったが、彼女たちのいない講話は、つまらないものに思えた。どんなに私の役に立っていてくれたかを、いなくなって、初めて痛感したのであった。  最初に盲導犬の訓練を受けに行った頃、将来は、盲導犬ロボットというものができてくるということを聞かされた。しかし、ロボットより、犬の方が、人と心を通わせることができるので、盲導犬の方がいいのだと言っておられた。  最近、AIスーツケースというものが試作品化されていると聞く。歩行時の情報を知らせてくれたり、人の顔も識別して教えてくれるようだ。それは、私たちにとって、便利なものであるに違いない。盲導犬を使いこなせなくなった私にも、役立つものとなるかもしれない。  ノーベル文学賞を受賞されたカズオ・イシグロ師が、「クララとお日さま」という小説を書いておられる。病弱な少女が、ロボットであるクララと、生活していく物語である。盲導犬を使えなくなった私も、そんなロボットが欲しい。スーツケースではなく、人型のロボットが欲しいものだ。できれば若い男性で、美しい声と、イケメンのロボットであればいいなぁ。そんな時代は、私が生きているうちに来るだろうか。