「病に打ち勝つ」 長崎県  古賀 直子   若いころは夜になると暗いところは全く歩けなかった。ある日職場で残業することになり仲間3人ですぐ近くの食事処へ夕食に向かっていた。仲間から2~3メートル後を行っていたが突然そばにある川に滑り落ちそうになった。「きゃあ!」と言う私の声にびっくりした仲間が飛んできた。幸い川の土手が芝生で固められていたのでその芝生を必死でつかみ、かろうじて川中へ落ちずに済んだ。駆け寄った仲間に引き上げられ、事なきを得た。  その時は自分の目が網膜色素変性症と言う難病だということは知る由もなかった。  それから早々と年月は過ぎ、60歳になったとき再び目の異常に気付いた。視野狭窄が始まり眼科受診で初めて自分の目は治る見込みは無い難病だということが分かった。医者から「そのうちに全盲になりますよ」を繰り返し言われ、そのショックで心臓にも異常が出て、以来20数年心臓の病院にも通い続けている。ただ幸いなのは網膜色素変性症は10年か長くて15年で全く見えなくなると仲間から聞いていたが、私は20数年まだ見てるところ1点は視野1度くらいだが見えている。つまり弱視である。たとえ視野1度でも全く見えないのよりどんなにか幸せだと思っている。 「見えぬ目も前向きに生き何のその」直子  そこで若くて元氣だったころからやっていた自分のためになることと、社会や人のために役に立つこといわゆるボランティアは、この身体でも出来る範囲で続けている。いろいろな部署に所属して沢山の仲間に恵まれ手を貸してもらいながら活動している。 「皆さんに手を貸してもらわないといけないので退会しようかな」と言うと「手も足も貸すから止めないで」と言って貰っている。所属している会は自分でも驚くほどの数である。  長崎グリーンヘルパーの会、この会は荒れ果てた山林を整備する会で、私が参加して一番頑張って思い出に残っている作業だ。それもそのはずその山の近くにある小学校の子供達四年生にその山でどんぐり拾いをしてもらい、それを土に埋めて芽を出させ育て、彼らが6年生になって卒業の時期に、卒業記念樹としてその山に植えて貰ったのが最高の活動の思い出として残っている。学校で何年度卒業生の卒業記念樹は昔からよくあることだが、個人で1本の木を植える卒業記念樹は自宅ではあることもあるが、みんなで一つの山に個人の名前を書いての記念樹はなかなか聞いたことはないと思う。  その後中学生になった彼らが3年生の時にまたその山に来てもらい成長した自分の木を見て貰ったこともあった。自主的に「時々来てたよ」と言った子供もいた。彼らももう今ごろはすっかり大人になって、良き父親、よき母親になっている子もいるだろう。  また長崎市の郊外にある遠藤周作文学館へも椿やアジサイ、はまぼうなどを植樹して剪定や除草に通っている。  更に若くて元氣だったころとはかなり数も少なくなったけど、他に綺麗な和紙の魅力に惹かれて立ち上げた「友禅和紙の会」では牛乳パックや本来ならば捨てられる物を使ってペン立てや椅子など生活必需品などリサイクル作品を作っている。なお息子の結婚式で嫁が私が和紙で作ったドレスを着て出席者の前で披露してくれたのも忘れられない思い出である。この会では各市の公民館や、国立少年自然の家など子供たちの作品作りに講師として要請され出かけたものだった。  また健康体操自彊術、川柳の会、わらいヨガ、もくよう会、生活学校、いきいきサロン、老人会、押し花会、この会では年齢的にも高くなってきたので作品つくりを減らしてどこか美味しいところへ食べに行こうとなり、半分はそうしている。一番若い人が車を出してくれ食事する場所も捜してくれ楽しいひとときを過ごしている。一円ボランティアの会、この会では年に一回その都度感動する講演会もあるので、無欠席で参加している。でもここのところコロナのため中止になっている。コロナの早い収束を願うところである。この会の生命尊重エンブリオ基金では沢山の赤ちゃんの命が助かっている。  今現在このような活動の中でも一番力を入れてるのは川柳の会である。諫早川柳蛍会を拠点に全国番傘川柳本社同人、更に全国各地の大会への出句など、認知症予防には最高の趣味と思い入会を誘って貰った先輩には心から感謝している。 「シャーロット高崎山の王女です」二年前の全国大会の猿と言う題で4位になった句。壇上から自分の句が読み上げられ、全国から集まった皆さんの前で起立して「長崎県古賀直子」と大きな声で呼名したことは一生忘れないと思う。  こうしていろいろな会に所属して皆さんに手を借りながらも、病気にも打ち勝って楽しく活動出来楽しく老後を送れるのも家族や仲間のお陰と思っている。  また屋敷内の庭畑では生ごみリサイクルの堆肥で無農薬の野菜や、枇杷、サクランボ、ブルーベリー、桃、レモン、ミカン、金柑が育っている。  こんな私に平成28年度には、当時内閣国務大臣内閣府特令担当大臣、現在は内閣官房長官加藤勝信氏からエイジレス章と言う私には勿体ない身に余る思いの章を貰った。これは生活学校からの推薦で生活学校からの受章者は全国で二人だけでもう一人は大分県の人だった。  またその他に諫早市への協力もしてきたつもりだ。市民記者、生涯学習専門委員、中央公民館運営委員、自主活動グループ副会長などなど。  これからも体調に気をつけながらも障害にも負けないで、家に閉じこもることなく日々出かけ人と出会って話をし、笑って元気に老後をエンジョイしてこの身体で出来ることを楽しく続けて行けることを願っている。 「前向きに生きて病を吹き飛ばし」直子