「二本の苗木」 千葉県  多田 芳彦  あれは前回の東京オリンピックが開かれた年のことなので、五十七年も昔の話になる。  私は五年生の一月に緑内障の手術を受け、その直後に失明した。新学期に合わせて、地元の小学校から盲学校に転校することが決まった。家から盲学校までの距離は四十キロ以上もあり、自宅通学は困難なため、寄宿舎生活を余儀なくされた。光を失い親元を離れたときの辛さと不安は、泳げない体を水中に投げ込まれたのと同じだった。  日曜日になると僕たちは、小学生を受け持つ寮母さんの引率で、外出を楽しんだ。その日の行き先は『千葉ステーションビル』で、寄宿舎がある総武線の稲毛駅からは、二駅離れていた。 僕たち六名は二列になり、寮母さんの後ろについて歩いた。全盲の僕は左手を弱視の友達と繋ぎ、右手に白杖を握っていた。期待に胸弾み、足取りは軽やかだった。  ステーションビルの二階に玩具売り場があり、そこが僕たちの最初の目的地だった。  僕は友達の説明を受けながら、おもちゃに触れた。楽しかった。心が躍った。 「メクラ、触るな。出ていけ」  僕と友達の顔と顔の間で、店員の冷酷な声がした。 「ごめんなさい、許してください」  驚いた僕はとっさに謝り、おもちゃに触れていた手を引いた。  店員は障害者が商品に触るのを忌み嫌っていた。その野卑な言葉遣いから、店員が障害者を蔑み、汚らわしく思っているのは明らかだった。  店員が遠ざかるのを待って、友達が僕の耳元でささやいた。 「メクラだってさ。触るなだってさ。出ていけだってさ。ひどいね。いじわるだね」  僕は友達と一緒に、玩具の陳列台から離れた。切なさに包まれてたたずんでいると、まぶたの裏に僕を哀れむ悲しげな母の顔が浮かび、見えない目に涙がにじんだ。 「二人とも、もう、おもちゃは見なくていいの?」  何も知らない寮母さんの問いかけに、僕は無言でうなづくことしかできなかった。ありのままを話したなら、障害者蔑視を受けた悔しさと切なさが膨らんで破裂して、こらえ切れずに泣き叫んでしまいそうだったからだ。 「今度は屋上に行くわよー」  寮母さんの号令で、僕たちは次の目的地に向かった。  屋上には小規模な遊園地があり、僕たちは大きな円盤に取り付けられた、ジェットコースターに似た形の遊具に乗った。  ブザーが鳴り、遊具が動き出した。円盤は傾斜した状態で回転しているので、体が上下左右にゆさぶられ、遊園地の遊具ならではの複雑な動きに、僕たちは大満足の歓声を上げた。  ブザーが鳴り、遊具が停止した。  ダーン、ダーン、ダーン、ダーン、ダーン、ダーン、ダーン・・・・・・。  僕たちが遊具の椅子から腰を浮かせたとき、こちらに向かって駆けてくる、歩幅の広い元気な足音が聞こえた。 「もう一度、乗りたい?」  それは改札係りのおにいさんの、優しく温かな声だった。 「乗りたーい」  僕たちは間髪を入れずに、喜びいっぱいの声で答えた。 「じゃあ、座って待っていてね。もう一度乗っていいからね」  元気のいい足音が遠ざかった。  僕は天国と地獄を見たような気がした。世の中には心の温かな人と、心の冷たい人がいるのを、聴覚で知った。  今私は六十八歳。三年前に妻に先立たれ、一人暮らしをしている。  私は週に一度、ガイドヘルパーと買い物に出かけているが、玩具売り場での体験がトラウマとなり、怖ろしくて店の商品には触れない。 「かつお風味の麺つゆが欲しいのですが、どんなのがありますか」  私が聞くとヘルパーさんが、希望に即した商品の、メーカーや品名や特徴を、丁寧に教えてくれる。 「その麺つゆのサイズは千ミリですか?」 「大きいのと小さいのがありますよ。これが大きい方で・・・・・・」  ヘルパーさんが商品を差し出すのを感受すると、私は反射的に、両手を後ろに隠してしまう。障害者が商品に触ったなら、それを目撃した店員を、そして買い物客までを、絶対に不愉快にさせてしまうと思っているからで、買い物中の私は、いつだって人目を気にして、おびえているのだ。  玩具売り場の店員は、私の心に臆病の苗木を植え付けた。一方、遊園地のおにいさんは、私の心に幸せの苗木を植えてくれた。  私は遊園地のおにいさんからもらった、あの日の喜びを忘れたことはない。学生時代から、いつかはあのおにいさんのように、何か自分にできることをして、人に喜んでもらえる人間になりたいと思い続けていた。しかし志はあれど、全盲で機動力に欠ける自分に、一体何ができるのだろうか?私はその答えを、長年見つけられずにいた。 「あなたはオカリナが上手なのだから、オカリナ演奏でボランティア活動をしたらいいんじゃないの。きっと喜んでもらえるわよ。『社協だより』に、ボランティア募集の記事が載っていたわよ」  今は亡き妻の妙案で、私は二十五年前から、あちらこちらの老人ホームに出向き、オカリナで童謡唱歌と懐メロと、世界の名曲を演奏している。 「普段は口を利かない認知症の入居者さんが、オカリナに合わせて『故郷』を歌っていたので、私、嬉しくなりました。音楽の力って、すごいですね。感動しました」 「笑い顔を見せたことのない入居者さんが、今日は笑顔で『青い山脈』を聴いていました。オカリナって、人の心を朗らかにしてくれる楽器なのですね」 「オカリナの音色って、独特ですよね。温かくて懐かしくて、心に染みますよね。『かあさんの歌』を聴いて、涙を流している男性の入居者さんが、三人いましたよ」  演奏後の職員の話を聞くたびに、私は老人ホームの入居者に喜ばれているのを知り、オカリナ吹きの自分を飛び切りの幸せ者だと、しみじみ、思う。  あの日植えられた二本の苗木があり、今のこの、臆病で幸せな私がいる。