表紙 日本視覚障害者団体連合 弱視問題対策部会 弱視者の困り事 資料集 第4号(令和3年10月発行) テキスト版 【テーマ】   障害者手帳を取得するまでの困り事 目次 T はじめに 1ページ U オンライン意見交換会での発表 3ページ  1 Aさん(東北地方在住、女性、50代) テーマ:育児 4ページ  2 Bさん(近畿地方在住、男性、60代) テーマ:就労 11ページ  3 Cさん(九州地方在住、女性、60代) テーマ:情報発信 16ページ  4 意見交換 (DさんからJさん) 20ページ V メーリングリストでの発表 27ページ  1 Kさん(東北地方在住、女性、50代) 28ページ  2 Lさん(関東地方在住、男性、40代) 30ページ  3 Mさん(関東地方在住、男性、70代) 31ページ  4 Nさん(関東地方在住、男性、50代) 32ページ  5 Oさん(東海地方在住、男性、60代) 34ページ  6 Pさん(近畿地方在住、男性、30代) 36ページ 1ページ T はじめに 1.資料集について  弱視者(ロービジョン)が日常生活を送る上で抱えている困り事は大変多いと言われています。本資料集は、弱視問題対策部会の委員より寄せられた弱視者(ロービジョン)の困り事等を整理した資料です。  第4号のテーマは「障害者手帳を取得するまでの困り事」になり、本部会のメーリングリスト、オンライン意見交換会で集められた情報を整理しました。  今回のテーマは、情報を提供してくれた弱視者(ロービジョン)ごとに様々なストーリーがありました。それこそ、どの情報提供者も他の人とは違う困り事や葛藤を経験し、その上で障害者手帳を取得していました。もちろん、障害者手帳を取得した後も、様々な困り事や葛藤があり、改めて弱視(ロービジョン)という存在が一つにはまとめられないことが分かりました。  そこで、第4号では、情報提供者別に情報を整理することにしました。また、障害者手帳を取得することに関連し、白杖を持つまでの経過、視覚障害者団体等との繋がり方等の情報も掲載しました。  この資料集を通して、弱視(ロービジョン)であることを打ち明けられない人が「困っているのは自分だけではないこと」を知り、少しでも安心して一歩前に踏み出せるようになることを願います。 2.出典情報 (1)弱視問題対策部会 メーリングリスト  募集期間 令和3年2月22日〜3月3日 (2)弱視問題対策部会 オンライン意見交換会  開催日 令和3年4月17日  開催内容 情報提供者からの発表、質疑応答、意見交換 3ページ U オンライン意見交換会での発表 4ページ 1 Aさん(東北地方在住、女性、50代) テーマ:育児 1.障害者手帳を取得するまでの経過 (1)子供の頃の苦労  まず、私の目が見えにくいことが分かったのは、小学校入学前の未就学児健康診断の視力検査でした。視力表の一番上しか見ることができず、そのことに両親が驚き、大学病院の眼科を受診しました。両親は、そこで処方された目薬に効果があると信じ、目薬を点眼し続けた結果、さらに視力が悪化しました。今で言う医療ミスだったようで、眼科医から「すぐに入院しなさい」と言われました。そして、勉強も目の訓練もできる病院に3か月入院し、その後、一般の小学校に通いました。黒板の字がよく見えないので、6年間、一番前の座席でした。  中学生になると、さらに黒板の文字が見えなくなりました。部活はテニス部に所属し、ボールが見えなくなる時もありましたが、何とか部活は続けていました。  高校生になると、黒板がホワイトボードになり、ホワイトボードに書かれた文字を見ることができませんでした。そのため、友達からノートを借りて、毎日、授業の内容を写させてもらいました。また、授業中に教科書を読み上げることも苦手でした。  18歳の時、分厚い眼鏡が嫌だったので、コンタクトレンズに変えようと眼科を受診したら、自分が網膜色素変性症であることが分かり、医師から「今後、さらに視力が落ちて、見えなくなってしまうかもしれない」と告げられました。そのことを聞いてショックを受け、泣きながら帰りました。 (2)大人になってからの苦労  その後、就職し、事務職に就くことができました。母親から「仕事をしている時は、見えているふりをしていなさい」と言われ、そのように振る舞いながら仕事をしていましたが、「見えにくいことがバレるのではないか」ということに神経を使い、無理をしながら仕事を続けていました。  結婚を機に退職し、専業主婦になりました。ただ、出産後は急激に視力が低下し、子育ては困難の連続でした。書類を読むこと、連絡帳に記入することができず困っていました。私の目のことは、周りにはなかなか理解してもらえず、主人でさえ頼りにはなりませんでした。  そして、2人目の子供が生まれた頃には、絵本の大きな文字でも読みづらくなり、子育てがさらに困難になりました。特に、子供を幼稚園に通わせていた時は、毎日の送り迎えが大変でした。子供達が着ている制服が一緒なので、どこに自分の子供がいるのかが見分けがつかないことが多く、行事に参加する日が近づくと、数日前から不安になっていました。 2.障害者手帳を取得したきっかけ  子育て中のある時、回覧板に挟まっていた生活用品・便利グッズ販売のカタログに社会福祉協議会の連絡先が記載されているのに気づき、「ここに相談したら、困っていることが解決するのではないか」と思い、思い切って電話をしました。電話をすると、その社会福祉協議会から地域の視覚障害の当事者団体を介して全盲の相談員を紹介してくれ、様々なアドバイスを受けました。今の自分がいるのは、この相談員と出会えたことが大きく、この相談員のアドバイスにより障害者手帳を取得することになりました。 3.障害者手帳の取得後の経過  障害者手帳を取得した後、拡大読書器を申請しようと役所に相談したら、役所の人に「4級では支給できない」と言われ、悔しい思いを経験しました。販売店からは「拡大読書器は障害者手帳の級数に関係なく取得できる」と教えてもらいましたが、その時の役所の担当者は制度を理解していなかったようです。この頃は「まだ見えている」と頑張っていた時期でしたので、眼科医に相談し、障害者手帳を取り直し、拡大読書器を給付してもらいました。  また、その頃は夫の収入も僅かでしたし、子供の成長と共にママ友も働きだしていたので、私も働いて少しでも家計の足しに繋げたいと思っていました。ただ、目が見えにくいと様々な壁があり、自分が働けないことを強く実感しました。年金もなし、職業もなし、タクシー券もなし、こんな時期だからこそ、私のような人に仕事の紹介や資金援助等のサポートがほしいと思いました。  このような苦労の連続だったので、この頃は命を絶つことも考えていました。でも、子供のことを考えると、それはできませんでした。  現在は、相変わらず働くことはできておりませんが、夫の収入も安定し、子供たちも独立、そして、同じ視覚障害の仲間も沢山でき、楽しい日々を過ごしております。 4.当事者団体に出会ったきっかけ  障害者手帳を取得するきっかけとなった全盲の相談員に出会ったことをきっかけに、地元の視覚障害の当事者団体に入会しました。入会したことをきっかけに、色々な仲間と出会えて、楽しく毎日を暮らしています。  例えば、同じ病気の仲間と知り合い、サークルを作りました。サークルは今年で19年目です。今は新型コロナウイルス感染症の影響でなかなか会うことができないので、LINEのグループ通話を使って仲間と話しています。サークルのメンバーは元気な人が多く、話しているだけで活力がもらえます。また、視覚障害スポーツに出会い、この活動にも夢中になっています。 5.白杖を持ったきっかけ  私の視力は中心視力はなく、中心以外はある程度は見えていたことから、昔は白杖をぶら下げてシンボル的に使っていました。また、街中では白杖を使っていても、近所では白杖を折り畳んでいることが多かったです。ただ、視覚障害でありながら何事にも前向きな仲間がいて、その仲間が格好良く白杖を使っている様子を見て、「私だけじゃない、恥ずかしくない」と勇気が出て、近所でも使うようになりました。  その後、白杖を使うようになり、白杖の先に丸いチップを付けてからは、ぼこぼことした地面の凹凸、坂道、段差等が白杖から伝わってくることが分かり、見違えるように歩きやすくなりました。以前のシンボル白杖では、ぼこぼこのちょっとした段差に先が引っ掛かり、とても歩きにくかったです。  また、地元の他の視覚障害者が白杖を持たずに歩いていて歩行者と接触し、その歩行者が救急車で運ばれ、警察沙汰になる事件がありました。こういう事件を目の前にすると、「白杖を持っていた方が安全かな」と思います。 6.Q&A (1)お子さんが病気やケガをした時の変化が見えないこと、分からないことで困ったことはありますか。 【回答】  公園で子供を遊ばせていて、顔に引っかき傷があったり、指にトゲが刺さっていることが分からないことには困りました。子供が泣いているだけでは分からないので、周りから指摘されて初めて自分の子供が怪我をしたことに気付くことも多かったです。ただ、その頃は、まだ弱視(ロービジョン)であることを周りに打ち明けていなかった頃なので、近所の優しそうなお母さんに頼んでトゲを抜いてもらったこともありました。  別のことでは、子供の薬のシロップはコップのメモリが読めないので、目分量で入れ、子供に薬を飲ませていました。毎回、この方法で良いのか不安になっていました。 (2)お子さんが通園していた幼稚園の先生等には、自分の目の状態を話していましたか。 【回答】  先生等には話していなかったです。あの頃は見えているふりをして、自分の目の状態を隠していました。それこそ、周りの人から子供に対して「あなたのお母さんは目が見えないの?」と言われたら、子供が可哀そうだと考えていた部分もあり、自分の目のことを隠していたのかもしれません。  ただ、今、冷静に考えると、幼稚園の先生等にしっかりと自分の目のことを話していれば、子供を直接迎えにいくことができたのかもしれません。自分から見えにくいことを周りに伝えたほうが、周りの人が協力してくれると思います。  しかし、自分の見え方を上手く説明できないので、周りから理解を得ることが難しい部分もあります。周りから「眼鏡をかけてないのに、普通に歩いているよね」と言われてしまうと何も言えません。私達の目は、「目のフィルム」が良くないので、眼鏡をかけて「目のレンズ」を変えたとしても見えにくさは変わりません。このことは周りにはなかなか理解されにくいと感じています。 (3)お子さんは、お母さんの目が見えにくいことを理解していましたか。 【回答】  多少は理解していたと思います。ただ、自分が見えないことで、色々と苦労や心配をかけていたかもしれません。  私の見え方は中心暗転で、中心は見えないが、その中心の周りは見えています。このような見え方なので、歩くことはできるけど、文字を読むことが苦手です。そのため、学校のプリントや通信表が読めなかったり、さらに書いてあることへの返事が書けなかったり、読み書きについては困ることが多かったです。 (4)周りの人に「私は目が見えにくいです」と言えるようになったきっかけはありますか。 【回答】  まず、全盲の相談員に出会い、様々なアドバイスを受け、視覚障害の当事者団体に入ったことが大きいです。特に「見えているふり」をしなくなったことは、凄く居心地が良かったです。なお、以前は「私は見えていない人達の中にいればいいや」と思って、見えている人達とのお付き合いが疎遠になった時期がありました。ただ、それでは生活ができないので、周りの人からの協力を得ることも大切だと思うようになりました。その後、同じ子育て中のお母さん達と出会って、自分の目が見えにくいことを正直に伝えたら、色々と手伝ってくれたり、色々な情報を教えてくれました。  そこで思うのは「自分から情報発信をすること」が大切だということです。自分から見えないことを伝えた方が、自分にとって得になることが多いことに気付きました。例えば、地元のスーパー等で、目を近付けて商品を見ていると、店員が私のことを不審者だと思い、私の後ろを付いてきたことがありました。それであれば、その店員に「私は目が見えにくいです」と伝え、助けてもらった方が早いと思います。私自身の考え方が少しづつオバさんになってきたのかもしれないですが、ある意味で厚かましい方が楽でいられると思います。 (5)結婚する時、相手の両親に目の状態を伝えることはできましたか。 【回答】  まず、夫と付き合っている時は、このような病気があることは何となく言えませんでした。ただ、結婚することになった時、夫には伝えた方が良いと思い、自分の目のことを伝えたら、全然気にしていなかったです。夫の両親や兄弟にも伝えたところ、そこまで気にしていなかったです。  ただ、私の中では「生まれてくる子供に目の病気が遺伝するのではないか」という点は気になっていました。幸い、生まれてきた子供は、今もその兆候はないので安心しています。 11ページ 2 Bさん(近畿地方在住、男性、60代) テーマ:就労 1.障害者手帳を取得するまでの経過  私は現在、電子機器のメーカーに勤務しています。40歳になる直前で緑内障を患い、だんだんと目が見えにくくなりました。書類やパソコンの画面が見えにくくなることはストレスとなり、ストレスが溜まると仕事も上手く進まなくなりました。この頃は、「障害者になる」という恐怖があり、自分の状況を周りに伝えることができませんでした。それこそ、「弱者に位置付けられるのではないか」、「自分の仕事を失うのではないか」といった不安に悩まされ、自分の状況をひた隠しにしながら、また、自分を誤魔化しながら仕事を続けていました。  そして、50歳になる直前で、会社より異動が告げられ、デスクワーク中心の部署から外回りがある部署へ異動することになりました。その際、「今の自分の目では異動先の仕事が難しい」と思い、会社に対して目が見えにくいことを初めて話しました。その結果、約3か月の休職を申請し、新しい職場での仕事をどうするかを考えることになりました。休職期間中は、「もう会社を辞めるしかない」と考えてばかりいました。視覚障害者としてどうやって働けるのかがイメージできず、一人で悩み続け、悶々としていました。 2.障害者手帳を取得したきっかけ  休職期間中のある時、テレビで地元の視覚障害の当事者団体が実施する歩行訓練の様子が放送されていて、この訓練に興味をもちました。そこで、家族と相談した上で、この団体に相談することにしました。  まず、その団体の相談員から拡大読書器やスクリーンリーダーがあることを教えてもらい、これらを使えば仕事に復帰できる可能性があることを知りました。また、障害者手帳を取得した方が良いとアドバイスを受け、障害者手帳を取得することにしました。障害者手帳を申請したら1級でした。  その後、約3か月の休職期間中に拡大読書器やスクリーンリーダー等の使用方法を学び、復職してからは何とか仕事を続けることができました。復職してしばらくの間は仕事に馴染めず苦労はしましたが、この団体に相談して、訓練を受けて良かったと思っています。 3.白杖を持ったきっかけ  障害者手帳の取得後に白杖は入手したものの、白杖は折り畳んでカバンに入れっぱなしにしていて、約3年間ぐらいは白杖を使いませんでした。白杖を使うことに自分の中で抵抗があり、なかなか使うことができませんでした。  ただ、ある日の帰宅時に、夜の闇の中であれば「白杖を使っていることを周りから気付かれないのではないか」と思い、自発的に白杖を使って家へ帰ることにしました。帰宅して、そのことを家族に伝えたら、家族から「お父さん、やったね」と言われ、初めて家族が自分のことを心配してくれていたことに気付かされました。それ以来、家から駅までは白杖を使うようになりました。  その後、会社の異動で自宅から遠い職場に通うことになり、白杖の訓練を正式に受けることにしました。この訓練を受けたことで、気持ちの整理がつき、会社の中でも白杖を使うようになりました。  白杖を使っていると周りからの援助が得やすく、それがきっかけでいろいろな人たちと話ができるようになり、今は楽しく通勤をしています。今となっては「もっと早く白杖を出していれば良かった」と思うのですが、当時の葛藤は仕方がないことだと感じています。 4.Q&A (1)視覚障害であることを周りに伝えたきっかけを、もう少し詳しく教えてください。 【回答】  直接のきっかけは人事異動になり、自分では異動先の新しい仕事ができないことが分かっていたので、そこで観念しました。ただ、自分自身をギリギリまで追い込んで、悩みに悩んで会社に報告した形になります。  そして、周りに目が見えにくいことを打ち明けてから、自分が障害者であることを受け入れました。特に、当事者団体等から視覚障害に関する様々な情報を教えてもらい、支援を受けることで仕事が続けられることが分かった時、初めて障害というものを受け入れたと思います。ただ、本当に障害を受容できたかどうかとなると、そうでもない部分もあり、働き続ける中で、周りの理解を得ながら、徐々に自分が受け入れていった流れもあります。  昔を思い返すと、自分自身が視覚障害というものに偏見があり、障害の受容を遅らせていた部分もあるかもしれません。ただ、色々な人に支えられて、障害を受容できたことはとても良かったと思っています。 【他の参加者からの意見】  私も、視覚障害であることを会社に話すことができず、会社に打ち明けた後も白杖を持つことができませんでした。最終的には白杖を使わないと移動できないことが増え、仕方がなく白杖を使うようなったので、お話しいただいたエピソードには大変共感します。また、自分自身が視覚障害というものに偏見があったという点も理解できます。自分自身も同じ考えを持っていた時期がありました。  仕事をしていると、目が見えないことに加え、周りからどう思われているか等、余計なことに気を遣うことが多いと感じます。そして、こういったことに疲れてしまい、仕事を辞めようと思ったことが何度もありました。Bさんの場合、上手く当事者団体に繋がることができて、仕事を続けることができたとのことですが、こういった当事者団体の情報に辿り着けず、仕事を辞めてしまう人は結構いるだろうと思います。早い段階で「見えなくても働けるんだ」ということに気付くことが大切だと思います。 (2)見えにくいことを会社に伝えた後、会社とはどのような相談をしましたか。 【回答】  まず、上司に報告した後、私と上司と会社の人事担当者の3者で、今後のことについて色々と相談しました。人事担当者からは「今後はどうされますか?」「仕事を続けることができますか?」「今後のことを自分で考えてほしい」といった話があり、「仕事を辞めてください」とは言われませんでした。  その後、自分で色々な情報を得て、自分なりに障害があっても仕事が続けられることが分かってきたので、会社の人事担当者に拡大読書器やスクリーンリーダーを利用することを提案し、異動先の職場に復職することになりました。なお、機器の購入は補助金の制度を利用したのですが、私から提案し、その制度の利用を通して機器を導入しました。  私の経験からすると、重要なのは「自分が働く姿勢を示すこと」だと思います。これをしっかりと示せれば会社は受け入れてくれると思います。 (3)休職中は休業手当等を取得しましたか。 【回答】  会社に積立休暇制度というものがあり、これを上手くやりくりし、貯まっていた有給と通常の休日を組み合わせて約3か月間の休暇期間を作り、この期間で復帰しようと考えました。傷病手当等の制度は利用していないです。 (4)復職する上でどのような人に助けられましたか。 【回答】  まず、視覚障害の当事者団体の相談員です。親身になって相談に対応いただき、色々な情報を教えてもらいました。また、この相談員から同じ状況にある視覚障害の仲間を紹介してもらい、その仲間と情報交換しながら、お互いの仕事のこと等を相談したことも大きいです。 (5)見えにくくなったことにより、仕事の内容は変わりましたか。 【回答】  仕事をしていく中で、「見えないこと」「見えにくいこと」をプラスに繋げることができないかと考えるようになりました。例えば、私は商品開発の仕事もしていますが、今は商品開発にもユニバーサルデザインの考えが必要になります。今の私は自然と視覚障害者の視点で物事を考えるようになったので、ユニバーサルデザインに関する様々な提案が行えるようになりました。  また、視覚障害者は話を聞くことが得意なので、職場の同僚からの相談を受けることが多いです。 16ページ 3 Cさん(九州地方在住、女性、60代) テーマ:情報発信 1.障害者手帳を取得するまでの経過 (1)子供の頃の苦労  私は先天的な弱視で、子供の頃から「目が見えにくい子」と周りからは認識されていたと思います。小眼球で、左右で眼球の大きさが違うため、見た目からそう思われていたようです。ただ、両親も私も、そこまで見えにくいことを意識せず、普通に暮らしていました。  学生時代は、一番前の席に座っても黒板が見えませんでした。教科書はほとんど読むことができなかったです。そのため、前の日に目を教科書に近付けて読んでおき、授業中はいかにも見えているふりをしていました。なお、スポーツで人並みにできた種目は水泳とマラソンでしたが、気持ち良く運動場を走っていたらバレーボールのネット用のポールにぶつかったこともありました。 (2)大人になってからの苦労  大学の時はアルバイトもしていて、4年間、デパートで特設売り場の呼び込みや販売をしていました。季節ごとの特設会場には必ず呼んでもらいました。しかし、デパートの仕事は、伝票、在庫、日報等の書類作成が必要となり、0.02の視力では対応できず、デパートには就職できませんでした。他の会社も同じでした。この時、自分が「ただ目が見えにくい」のではなく、「視覚障害者」であることを初めて意識しました。 2.障害者手帳を取得したきっかけ  その後、「目が見えにくい人は、マッサージや鍼・灸の仕事をしている」と思い出し、近所の治療院に行って、治療院の先生に相談したら、「あなたは障害者手帳がもらえる」とアドバイスをもらい、病院で判定を受け、2級の障害者手帳を取得しました。また、障害者手帳があれば、マッサージや鍼・灸の学校のお金も支援してもらえることが分かったので、この学校に入学し、免許を取得しました。その後、同級生と結婚し、治療院を開業したり、施設に出張したりしながら、今もマッサージと鍼・灸の仕事を続けています。 3.障害者手帳の取得後の経過  大学に入学した頃、ボーイスカウトのリーダーをしていて、このことが視覚障害者になった後に非常に役立ちました。特に、ボーイスカウトの指導者から「目が見えにくいのであれば、自分なりに工夫する」ということを教わった点が大きいです。例えば、事前に目的地を下見する等、自分でできることは事前に済ませておく工夫を学びました。それまでは「目が見えにくいこと」は自分の弱点だと思っていましたが、こういった経験を経て「視覚障害は自分の個性」と思うようになりました。できることはできる、できないことはできないと割り切るようにもなりました。  そのため、子供が生まれた時、子供を抱きながら近所の家々を回り、「もし、私の子供が怪我をしてたら、私が気付かないことがあるので、私に声をかけてもらえませんか」とお願いしました。予めお願いをすることで、地域の人から子供のことで色々と助けてもらえるのではないかと思ったからです。保育園に入った時も、同じようなことをしたら、周りのお母さん達から色々と助けてもらえました。正直に相談したのが良かったのだと思います。  なお、周りのお母さん達に助けてもらうことが多かった中で、自分ができることがあれば、率先して対応していました。例えば、会合の事前準備で机を並べることは、率先して自分が担当していました。助けてもらうばかりではいけないと思います。 4.当事者団体に出会ったきっかけ  子育てが一段落した後に、地元の視覚障害の当事者団体に入りました。入ってみたら、自分よりも優れている人が多く、ビックリしました。そういった人と共に活動していると、「自分はもっとしっかりとしないといけない」と思うことが多く、色々と刺激を受けました。 5.Q&A (1)今の視力は安定していますか。 【回答】  今の視力は0.02で、子供の頃からあまり変わってないです。ただ、人の顔はあまり見えないので、近所の人には「私は人の顔が見えないので、挨拶をしないことがあります。その時は声をかけてほしい」と話しています。私の中で「できることはできる」「できないことはできない」を分けるようにしているので、できないことは周りにしっかりと伝えるようにしています。 【他の参加者からの意見】  自分から「目が見えにくい」ということを情報発信している点は素晴らしいと思う。自分もそうだが、どうも「目が見えにくい」ことを隠してしまうことがあり、その隠すことに一生懸命になり、疲れてしまうことが多い。「できることはできる」「できないことはできない」と割り切り、見えないことを隠さず、できることは自分で行う姿は素晴らしいと思います。 (2)白杖は使っていますか。 【回答】  今の見え方だと、視野には問題がないので、白杖なしで歩いています。小さい頃からこの視力なので、この見え方に慣れていて、それで歩けるのかもしれません。それこそ、見えなくて困ったことがあれば周りに助けを求めたり、見えなかったら単眼鏡で見たり、何とかしています。  ただ、自分の中で白杖を持つことに抵抗がある部分もあります。周りからは「白杖を持っていた方が、周りの人が助けてくれて楽だよ」との意見も聞きますが、もしこれから私が白杖を持ったら、「周りの人からの見方が変わるのではないか」といった悩みが出て、別の葛藤が生まれるのかもしれないです。 20ページ 4 意見交換                        Aさん、Bさん、Cさんの報告をもとに、参加者の中で意見交換を行いました。内容別に整理して記載します。 1.障害者手帳を取得すること (1)Dさん(東海地方在住、女性、30代)  私は先天性の視覚障害で、小学校1年生の時に片目が見えなくなり、小学校5年生ぐらいになると、見えているほうの目はさらに見えにくくなりました。その時、県立こども病院の主治医が盲学校の校医になったことから、盲学校を薦めてくれて、盲学校に転校することになりました。ちょうど盲学校の教育相談での院内相談の取り組みが始まった時だったと聞きました。その際、主治医と盲学校の教育相談の先生から障害者手帳を勧められ、障害者手帳を取得することになりました。  私が障害者手帳を取得したタイミングは「医療」「教育」「福祉」が繋がり始めた頃で、視覚障害になった直後の人は、こういった関係者に繋がることが大切だと思います。現在のスマートサイトではないが、こういった繋がりが円滑になると、障害者手帳を取得するまでの道のりも簡単になるのではないでしょうか。 (2)Eさん(関東地方在住、男性、40代)  私は先天性の視覚障害で、一般の小学校に通っていた小学校2年生の時にあった教員向けの授業参観がきっかけでした。その時、授業参観には弱視学級の先生が来ていて、自分が教科書を近付けて見ている姿に気付き、私の担任にそのことを指摘したようです。その後、弱視学級を勧められ、週1回程度、弱視学級に通うようになりました。また、弱視学級から専門の大学病院を紹介してもらい、小学校4年生の時に障害者手帳を取得しました。  私の経験を整理すると、学校から病院に繋がり、そこから障害者手帳に繋がった形になっています。一般的には「学校の先生や病院の先生から障害者手帳に繋がらない」と言われていますが、私の経験を踏まえると、それは人によって違うと思います。  ただ、今日の皆さんのお話を聞いていると「最初のきっかけ」が大切なんだと気付きました。それこそAさんの「たまたま回覧板を見たら社会福祉協議会の案内があった」、Bさんの「たまたまテレビを見たら、歩行訓練の紹介があった」、Cさんの「たまたま近くに相談できる人がいた」等は、ある意味でラッキーだったのかもしれない。しかし、こういったことは「たまたま」にしてはいけないのだろう。私たちの手でこの「たまたま」を減らしていく試みが必要だと思います。 (3)Fさん(関東地方在住、男性、50代)  私は網膜色素変性症で、通院していた大学病院眼科の待合室に貼ってあった視覚障害の当事者団体のポスターがきっかけでした。そのポスターにはその団体の代表者である会長さんの電話番号が記載されていて、その番号に電話をしたらその会長さんから色々な話が聞けました。例えば、「障害者手帳を取得すると色々な支援が受けられる」、「見えなくても働いている人が多い」、「障害年金の制度がある」、「職業訓練が受けられる」といった様々な情報を教えてもらいました。そして、その会長さんから紹介してもらった眼科の先生を通して障害者手帳を取得しました。今思うと、大学病院眼科にポスターが奇跡的に貼られていて、そこから視覚障害の当事者団体に繋がったことが大きいと思っています。こういった入り口が身近にあることで、迷うことなく、必要な支援先に繋がるのだと思います。  ただ、障害者手帳という存在を考えると、やはり「重たさ」を感じます。それこそ、もともと見えていて、急に見えなくなった人の心理的な負担は大きく、すぐに障害者手帳を取得する気持ちにはなれないと思います。私自身は、段階を踏みながら、視覚障害を受容しており、他の人も何らかの段階を経て障害者手帳を取得していると思います。私については、最初は自分自身が目の見えにくさを理解して病院に通院するようになったこと、次に当事者団体に繋がって様々な情報を得たことが大きかったと思います。 2.白杖を持つこと (1)Dさん(東海地方在住、女性、30代)  どうしても周りからの目が気になり、なかなか白杖を使うことができませんでした。道路交通法のことも理解はしていましたが、白杖はカバンの中にしまったままでした。  ただ、年齢を重ねて、あることに気付きました。それは「白杖を持たないことで誰かを傷つけてしまう可能性がある」ということです。  例えば、小さな子が私の近くを歩いていたら、私は視野が狭いので、その小さな子に気付かず、小さな子を蹴とばしてしまう可能性があります。それは危ないことです。ただ、白杖を持っていると、傍を通る子連れのお母さんは必ずその子の手を繋いでくれたり、お年寄りでも私を避けてくれます。そのため、「白杖を使わないといけない」と考えるようになり、徐々に白杖を使うようになりました。例えば、歩いたことのない場所、久しぶりに行く所や人混みの多い駅では、白杖を使うようにしています。また、家の近くでは夜道が見えにくいので使うことがあります。あと、道に迷っていても白杖を使っていれば変に思われないので、人に道を尋ねやすくなりました。  なお、知り合いの弁護士さんや歩行訓練士さんからは「事故に遭った時の訴訟を考えると、白杖は持っていたほうが良い」「事故に備えて自賠責保険に入ったほうが良い」とアドバイスを受けたことがあります。  また、私自身、少しでもオシャレに白杖を持ちたいので、白杖にスワロフスキーのデコレーションを付けています。自分のものだという目印にもなります。グリップにかわいい色や柄のテニスラケット用のグリップテープを巻いている人もいます。白杖をおしゃれに持ちたい人には、白杖をデコレーションすることをお勧めします。おしゃれな白杖を持つことで気の持ち方も少し楽になります。 (2)Fさん(関東地方在住、男性、50代)  以前、白杖を持たずに歩いていて、小さな子に当たってしまったことがあります。子連れのお母さんやお父さんは、子供と歩いていても、子供の歩く方向までは目が行き届かないでしょう。そうなると、私が白杖を持って、注意を引き付けた方が良いのだと気付きました。 (3)Gさん(北信越地方在住、女性、60代)  昨年、私の団体では、弱視(ロービジョン)に関する講演会を開催しました。その中で、会場の参加者から「どうしたら弱視(ロービジョン)の夫に白杖を持たせることができるのか?」という質問がありました。自身も弱視(ロービジョン)である講演者からは、自身の経験を踏まえながら、優しく「白杖を持ったほうが、自分にも、周りにも安全ですよ」とお答えになられ、質問をした参加者が安堵していたのが印象的でした。  私自身も白杖を持つことに葛藤した時期があり、やっぱり白杖を持つことに悩んでいる弱視者(ロービジョン)やその家族は多いと思います。そのため、こういった講演活動は弱視者(ロービジョン)にとって価値があると感じました。 3.地域での取り組み (1)Hさん(関東地方在住、男性、70代)  私の周りの多くの視覚障害者は、障害福祉サービスを申請するために障害者手帳を申請した人が多いです。例えば、同行援護を利用したいので、障害者手帳を申請している。ただし、別の見方をすると、視覚障害者を支援する障害福祉サービスがあることを知らない人は、障害者手帳を申請していない可能性もあります。  そのため、私達の団体の取り組みとして、令和3年3月に目が見えにくい人に対するアドバイスを記載したチラシを作成し、地域の全ての眼科の診療所と病院にも置いてもらうようにお願いしています。  チラシの内容は、地域の視覚障害者向けの情報提供施設で実施している様々な情報提供や訓練等の各種支援サービス、視覚障害の当事者団体で実施している相談事業、障害者手帳の取得先・取得方法等の情報です。また、私達の団体には、多くの仲間がいることも記載しています。  このチラシが、障害者手帳を取得する「最初の一歩」になることを期待しつつ、色々な所にチラシを配布しています。 (2)Iさん(中国地方在住、男性、60代)  地元の自治体の窓口で、白杖を申請する人や再申請する人に、私達の団体が作成した歩行訓練へのお誘いチラシを渡してもらっています。これは、歩行訓練を広く知らせ、受けてもらう人を広げるための試みです。もともと白杖を使っている人でも我流になっていて危険なことがありますので。  一方で、急に見えなくなった人・見えにくくなった人は、不安でいっぱいです。できるだけ早くに寄り添える機会、適切な情報提供と福祉機関等へ繋ぐことが大事です。そのため、ロービジョンケアを広め、その連携のネットワークも広げることを目指す関係諸団体・有志の集まりである地元のスマートサイトで、スマートサイトのチラシを作成しました。チラシは、そういう人を一番に捕捉できる眼科窓口をはじめ、広範囲に配置しています。  なお、県内の行政サイドには、30年以上前から視覚障害者への職業訓練等の専門訓練を行える人がいません。地元の施設の歩行訓練士だけの陣容では視覚障害者への支援は不十分なので、行政に対して視覚障害者へのリハビリテーションを行うセンターを作るよう、活動を準備しているところです。 4.歩行訓練 (1)Jさん(東北地方在住、女性、50代)  私の地元では、歩行訓練士が県の障害福祉部署に採用され、県内で歩くことに困った視覚障害者が、回数的にはまだ上限があるものの、なんとか安定的に歩行訓練を受けられるようになってきました。  私自身もこの歩行訓練を受け、助かった経験があります。ある時、鉄道を使って初めて行く場所があったので、その乗降駅の歩行訓練を受けたことがあります。私の地元の鉄道は、土日は単線の上、無人駅が多く、駅には安全対策はあまり施されてはいません。もし、実際に乗降してみなかったら駅のホームから転落してしまうかもしれませんし、カードをタッチする場所もわかりません。おかげさまで、不安なく、安全に移動ができ、助かりました。 (2)Dさん(東海地方在住、女性、30代)  弱視者(ロービジョン)も歩行訓練を受けた方が良いと思っています。それは、白杖を持っていても効果的な使い方を知らない弱視者(ロービジョン)が多いからです。  特に、歩行訓練は一般的には「全盲の人が受けるもの」と思われていて、弱視者(ロービジョン)の中でもそう思っている人がいます。弱視者(ロービジョン)の中には、進行性の人もいますし、天候によって見え方が変わってくる人もいます。定期的に訓練を受けることで、自分の見え方の落ち具合に気付くこともできます。  こういったことを考えると、全国で弱視者(ロービジョン)向けの歩行訓練が積極的に実施されることを期待します。そして、歩行訓練を受ける当時者が増えることで、社会全体で歩行訓練の重要さが認識され、歩行訓練士の数が増えるのではないかと思っています。 (3)Fさん(関東地方在住、男性、50代)  歩行訓練が弱視者(ロービジョン)の中で広がらないのは、Dさんの意見と同じく、弱視者(ロービジョン)が歩行訓練を希望しないことが大きいと思います。そのため、歩行訓練士が育たない、数が揃わないといったデフレスパイラルのような構造があるのではないでしょうか。  また、進行性の目の病気の場合、歩行訓練を1回だけ受けるのではなく、状況に合わせて何度も受けたほうが良いと思います。その時の見え方によって電車やバスの乗り方は変わるはずなので、その度に安全に移動するための白杖の使い方等を覚えることが必要です。 27ページ V メーリングリストでの発表 28ページ 1 Kさん(東北地方在住、女性、50代) 1.障害者手帳を取得するまでの経過  私は、先天性の緑内障で、産後にだんだんと眼圧が上がってきて、自覚症状が出てきました。育児休業からの復帰後、通院で新幹線に乗るため、地元の駅を利用した時、今まで見慣れていた駅が真っ白というか、灰色というか、見ることができず、自力で歩けなくなりました。その時は、点字ブロックに足を擦り付けながら、必死で駅の階段を降りました。これをきっかけに、自力で移動ができないのなら、障害者手帳を取得しようと思いました。 2.当事者団体に出会ったきっかけ  子供の体温を測った後、液晶に表示された数字が読めなくて困りました。そこで、音声体温計はないものかと探していたら、県の視覚障害者生活支援センターに辿り着きました。このセンターは、視覚障害の当事者団体が指定管理をしていたので、これをきっかけに当事者団体に繋がるようになりました。 3.白杖を持ったきっかけ  もし、自分の子供と手を繋いで歩く時、白杖を持っていなかったら、自分が上手く周りの歩行者を避けて歩かないといけません。親は子供の安全も守らないといけないのです。そのため、私の場合は白杖が必要になりました。白杖は子供の命と私の命を守る唯一のものだと思い、白杖を持つようになりました。  なお、実家の周囲では白杖を持つことに抵抗があった時期もありましたが、引っ越して、私を知っている人が誰もいない環境に住むようになったら、通り過ぎる人の顔が見えなかったので、抵抗なく白杖を持つことができました。 4.周りの視覚障害者への白杖の勧め方  私の職場である盲学校に入学した中途失明の生徒で、白杖を持っていない生徒には「まずはどんな形でもいいので白杖を持ってほしい」と話しています。その際は、必要な時、危ない時、困った時だけ使うことができる折り畳み式の白杖を勧めています。つい最近、学校に通う40代の男性の生徒から「雪の日に初めて白杖を使って歩いてみたら、コンビニの店員や道に立っている人が優しく声をかけてくれた」と報告がありました。その生徒からは「白杖を持って、初めて人の優しさがわかりました」とも報告がありました。人が変わるのを見届けるのは嬉しいものです。  なお、生徒向けには交通安全教室を年度初めに開催し、白杖の使い方、種類と選び方等を教えています。その際、デコレーションした白杖、通称「デコ白杖」を紹介しています。私自身、「通勤用」「お出かけ用」で白杖を使い分けていて、「お出かけ用」にはきらきらしたビーズのデコレーションを施しています。白杖を持ちやすくすることも大切だと思います。 30ページ 2 Lさん(関東地方在住、男性、40代) 1.当事者団体に出会ったきっかけ  私は先天性の視覚障害で、障害者手帳は小学生の時に取得しました。ただ、昨年より視力が落ちて生活がガラッと変わり、日常生活で困ることが増えました。そこで、地元の視覚障害の当事者団体で歩行訓練や調理訓練等を受けさせてもらい、大変助かりました。 2.白杖を持ったきっかけ  白杖を使うようになったのは、「白杖を持たないことで誰かに怪我をさせてしまうかもしれない」と思うようになったことがきっかけです。  まず、盲学校に在籍していた中学・高校時代は、白杖を全く持っていませんでした。必要性を感じていなかったからだと思います。大学に入ってからはシンボル的な利用が増えましたが、白杖を持って歩くことに恥ずかしさを感じていました。大学1年生の時、学内の階段から落ちて骨折しても、白杖を持とうとは思いませんでした。ただ、大学院への進学で、土地勘もなければ知り合いもいない所に引っ越したことで、自分の安全、そして周りの人の安全を守るためには白杖が必要だと考えて、以前よりも積極的に使うようになりました。  なお、弱視者(ロービジョン)がシンボル的に白杖を持っていると、「白杖持ってるのにスマホを使うって、嘘をついてるの?」「白杖持ってるけどスタスタ歩いてる、あの人見えてるよね」といった好奇の目で見られることがあります。これは弱視者(ロービジョン)にとっては嫌なことで、このようなことがあるから、白杖を持たない弱視者(ロービジョン)が多いのだと思います。 31ページ 3 Mさん(関東地方在住、男性、70代) 1.障害者手帳を取得したきっかけ  個人的にかなり見えにくくなったと自覚した時、障害者手帳を申請しようと考え、眼科に相談しました。ただ、眼科医の診断書をもとに障害者手帳を申請したら重度障害2級と判定されていて驚きました。もっと軽い障害だろうと思い込んでいたので、その結果には驚きました。 2.白杖を持ったきっかけ  障害者手帳を取得した数年後、通い慣れた駅の階段を降りている時に、登ってきた高齢女性をつき倒してしまったことがありました。駅員がすぐ来てくれ、幸い大事には至りませんでしたが、その時、自分が加害者になる怖さを感じました。もし、その時、シンボルとして白杖を持っていれば事故を避けることができたかもしれないと痛感し、この事故以来、白杖を持って歩くようになりました。  私がそうだったように、病気が進行中の弱視者(ロービジョン)の中には、白杖を持ちたくないと思う人が多いと思います。今の私は、こういった人に対して「回りへの警告のために白杖は役立つよ」と話すようにしています。 32ページ 4 Nさん(関東地方在住、男性、50代) 1.障害者手帳を取得したきっかけ  私は網膜色素変性症で、障害者手帳を取得することは心理的な抵抗がありました。ただ、視覚障害の当事者団体に入会し、様々な情報を得る中で、障害者手帳があることで交通費が安くなる等、様々な福祉制度が利用できるメリットを知ったので、障害者手帳を取得することにしました。また、当事者団体に入ったことで、視覚障害者として暮らしていく上で活用できるノウハウを教わり、気が少し楽になった部分もありました。  ただ、障害者年金等をもらっている話は、あまり触れてほしくないと思っています。自分の中に何か後ろめたい気持ちがあるのかもしれません。 2.白杖を持ったきっかけ  まず、視覚障害者になった最初の頃は、何度も白杖を持とうとは思いましたが、恥ずかしくて持てませんでした。家族からは「周りの人に迷惑がかかるので持ってほしい」と言われ続け、結局は視力や視野低下により白杖を利用せざるを得なくなりましたが、白杖を使うことに前向きになれませんでした。  私の見え方は、暗くなると見えにくくなります。そのため、会社からの帰宅時が一番大変でした。特に、帰宅時に白杖を使うと、会社から「そこまで目が見えにくいのか」と思われてしまうことが不安で、なかなか白杖を使うことができませんでした。そこで、帰宅時は、会社の同僚の肩を掴まらせてもらい、白杖を使わずに駅まで一緒に帰らせてもらいました。白杖を持つと、一目で「この人は目が見えない」ということが分かってしまいます。これが抵抗感を生み、私と同じように白杖を持つことに苦労している人が多いのだと思います。  ここ数年、鉄道駅でのホーム転落事故は、弱視者(ロービジョン)が被害に遭うケースが多く、多くの人がカバンの中に白杖を入れ、白杖を使わずに移動していたようです。私も同じ時期があり、カバンに白杖を入れたままで、白杖を使わない時期がありました。そして、何度も危ない目に遭いました。弱視者(ロービジョン)は、多少見えるが故に勘違いをすることがあります。弱視者(ロービジョン)自身が白杖を持つことに注意していかないと、こういった事故はなくならないと思いました。 34ページ 5 Oさん(東海地方在住、男性、60代) 1.障害者手帳を取得したきっかけ  私は両眼とも眼球振とう症・高度近視で、先天性の弱視(ロービジョン)です。小学校4年生の時に盲学校に転校した際、学校側から障害者手帳を取得するように両親に説得があり、それで障害者手帳を取得しました。 2.当事者団体に出会ったきっかけ  40代より前は、盲学校の先輩から誘われて視覚障害の当事者団体の行事に参加していました。役員になっていた時期もありました。ただ、40歳くらいから職場での役職が上になってきたことで、会議や研修会への参加が増えてしまい、当事者団体の活動から離れてしまいました。その後、60歳で退職してから、団体の行事には少しずつ参加するようになりました。 3.白杖を持ったきっかけ  60歳で定年退職するまで、1人歩きが怖いと思った数回を除き、白杖はほとんど使用しませんでした。白杖を使わなかった理由は、1人で何とか移動できること、片手がふさがるのが怖かったことが大きいです。また、私は病院に勤めていたのですが、担当していた患者さんに目が見えにくいことを知られると不安がられてしまうので、それで白杖を使っていませんでした。  その後、退職前から少しずつ視力が落ち始め、旅行等で県外へ出かける時だけ白杖を使うようになりました。そのため、白杖の歩行訓練も受け、徐々に住んでいる町でも使用するようになりました。ただ、家の周囲では慣れていることもあり、まだ白杖を使わずに歩いています。  なお、ほぼ全盲に近い友人は、歩行訓練を受けようとせず、白杖を使うことを極度に嫌がっています。出かける時は、家族か同行援護サービスを必ず頼んでいるようで、白杖を持ったとしても折りたたんだままでぶら下げています。どうやら、白杖を使うのは恥ずかしい、カッコ悪いというイメージを強く持っているようです。 36ページ 6 Pさん(近畿地方在住、男性、30代) 1.障害者手帳を取得したきっかけ  私は先天性の視覚障害で、障害者手帳は地元の保健師さんがアドバイスをしてくれ、物心ついた時には両親が障害者手帳を申請していました。障害者手帳を持っていること自体は、子供の頃は何も感じませんでした。そういうものだと思っていました。  なお、私の友人で同じ先天性の視覚障害の人がいるのですが、子供の頃は障害者手帳を取得しなかったそうです。両親や親戚が、障害者として認定されることに抵抗感をもっていたのが原因のようです。おそらく、両親や親戚は「健康な身体で生んでやれなかったことを認めたくない」「障害があると親戚や近所の目が気になるから」と思ったのでしょう。 2.当事者団体に出会ったきっかけ  私は田舎の出身で、地元には視覚障害者はおろか、他の身体障害者もいなかったので、常に情報不足を感じていました。  ただ、大学3年生で就職活動に困っていた頃、何気なくインターネットで視覚障害者のことを検索したところ、同じくらいの視力の人が書き込むSNSを見つけました。そこで知り合った人が当事者団体に所属していたので、情報を求めて活動に参加するようになっていきました。これがきっかけで、当事者団体と関わるようになりました。 3.白杖を持ったきっかけ  私は、周りを見ながら単独歩行ができたことと、周囲の大人が「白杖は全盲の人が使うもの」と思っていたことから、白杖を使用するという発想が全くありませんでした。その後、弱視(ロービジョン)でも白杖を使っても問題がないことを当事者団体の人に教えてもらい、白杖を使うようになりました。  白杖を持ち始めて驚いたのは、いつも使っている電車で席を譲ってもらえるようになったことでした。周囲からの心遣いが、杖1本でこうも変わるのかと衝撃を受けました。また、白杖のおかげで段差や階段の場所が分かるようになり、さらに通行人とぶつかることも激減したことから、白杖を積極的に使うようになりました。  ただ、白杖を持つことで、酔っ払いや不審者に絡まれたり、スマホを使っていることに難癖をつけられたりすることもあり、良い面ばかりではないとも感じています。ある時、私の友人から「白杖を持つことで周囲の見る目が変わることに耐えられない」という相談を受けたことがあります。見える限りは白杖を使わないという友人もいました。自分の経験に照らし合わせると、彼らの懸念や不安は理解できます。ただ、そうした相談を受けた時は、「せめてお守り代わりでもいいから、白杖をカバンに入れておいて損はないよ。階段から落ちて大怪我するよりはマシだから」とアドバイスしています。 裏表紙 【発行】 社会福祉法人日本視覚障害者団体連合 弱視問題対策部会 〒169−8664 東京都新宿区西早稲田2−18−2 TEL 03−3200−0011(内線:6) FAX 03−3200−7755 メール jim@jfb.jp URL http://nichimou.org/