皆さん、こんにちは  私の声が皆さんに届く頃は、年度も替わって令和3年度になっているわけでありますが、3月11日には東日本大震災から10年という節目を迎えることになりました。  私は先日、馳星周の『少年と犬』という小説を読みました。これは去年か一昨年か忘れましたけれども、直木賞をとった作品ですけれども、この小説は非常に面白くてですね、ストーリーも面白いんですけども、東日本大震災の被災から始まってそして熊本大震災で終わるという小説なんですね。東日本大震災で被災した家族、とりわけ3歳の子供が失語症になって、その後熊本に引越すんですけども、東日本で同じく飼い主を失った犬が旅をして、最後は熊本のその3歳の子供の所にたどり着いて、その子供をいわば救うという物語なんですけども、僕は、この小説自身の面白さはともかく、その主人公はですね、東日本大震災で被災したところから熊本の震災に終わるというのがなんとも言えない、私たちに問いかけているものがあるように全くその小説のテーマとは別のものを私は感じ取った次第であります。  このわれわれにとっての震災というのは、日本のどこに住んでいても、そしていつ何時私たちを襲うかもしれないという事をどれだけ本当に全ての国民が、そして政府・自治体が意識してるかということを私はもう一度問いたいなと思うわけであります。  障害者団体自身も国や自治体にお願いするばかりでなく、自らの安全をどう守るのかということついても真剣に考えるという両面での対策が問われているのかもしれません。  この一年間、東日本大震災10年の節目をわれわれはどう迎えて、今後どう10年を過ごそうとするのかを、問い直しながら、そして問いかけながら1年を過ごしてみたいと思っております。  今日は、教育の問題について少し取り上げさせてください。盲学校は、非常に危機的な状態だと僕は思っております。生徒数が激減し、更には、理療科と言いますか、鍼灸マッサージという職業教育を選ぶ生徒もどんどん減っております。そういうなかにあって、他方では統合教育が進んできてるわけでありますけども、たとえ統合教育が進んだからといって、僕は盲学校が不要になるとは思っておりません。とりわけ私たちにとって、鍼灸マッサージに対する教育体制というものを今後も維持していかなければ、視覚障害が日本において自立してきた基盤を失うとさえ思っております。この理療教育の在りかたというものを盲学校という体制のなかだけで考えるのか、あるいは筑波技術大学という高等教育機関もあるわけですが、そうした機関も含めて理療教育の我が国における発展というものをどういう方向付で、そして視覚障害にとってどういう意味を持った職業教育として捉えるかということが、僕は皆さんと一緒に考える1年にしたいとも思ってるわけです。  僕自身は、鍼灸マッサージの道は捨てた人間ではありますけれども、この職業教育の重要性、鍼灸マッサージを通じた自立と社会参加の重要性と言うものを、私は決して軽視している人間ではないつもりです。もっと言えば、私から見れば、多くの視覚障害者にとって今後も鍼灸マッサージは職業教育のそして自立を目指す職業の中心であり続けることになるのだろうと思っていますし、それだけに鍼灸マッサージに対する国民の期待、さらには視覚障害あはき師がどれだけの能力を身に着けて、高い実力の中で国民の期待に応えて行くのか、ということを問い続けたいと思っております。  最後に高齢者問題についても一言触れさせてください。僕は、高齢者が増える中で視覚障害者も当然増えていくわけです。そうした高齢視覚障害者の地域における自立、社会参加あるいは高齢者の生きがいというものを考えるそのためのリハビリテーションシステムも是非皆さんと一緒に考える1年にしたいと思っています。