「この人生ゲームをどう楽しむか?」 埼玉県  立川 くるみ  私は強い光と動く光に対して弱い眼球使用困難症の視覚障害者で、外出時は電気溶接グラスや日傘、白杖(はくじょう)を用いています。パソコンやスマホも画面読み上げ機能を使っています。  ところで「眼球使用困難症」というのは、私のように光過敏(ひかりかびん)で目を使える時間が限られていたり、まぶたの異常でうまく目が開けられなかったりする症候群の名前です。  これは2017年に手帳の視覚障害基準の見直し検討会が開催されたことを契機に、井上(いのうえ)眼科名誉院長の若倉雅登(わかくらまさと)医師が「視力・視野以外の視覚障害者にも福祉の恩恵を!」との思いから提唱したもので、略称をPDESといいます。  視覚障害者の手帳では、視力・視野にしか認定基準がなく、まぶしさやまぶたの異常は含まれていないのです。年金制度でも手帳ほどではありませんが、正当に障害の程度に見合った等級が得られないケースが大半です。  また、PDESの多くは脳機能異常のため、目の症状のみならず様々な心身の症状が重複しているケースも少なくありません。  私も光過敏の他、体の痛みや倦怠感、低体力、異常な冷え性などがあります。  23歳の頃から坐骨や背中の痛みでデスクワークが出来なくなり、PDESの一つである眼瞼痙攣(がんけんけいれん)を発症したのが33歳の時です。さらに目が悪化して白杖デビューしたのが35歳。そして、ちょっぴり上昇気流に乗っている現在44歳です。  今回はそんな私の人生ゲームがどのように展開されてきたか、簡単にご紹介したいと思います。  さて、1つ目のゲームは「どれだけ目を使わないで生活できるかゲーム」です。  私が本格的に盲人スキルを身に付けざるを得なくなったのは眼瞼痙攣を発症した2年後で、ボトックス注射という治療後です。  それまでも症状はありましたが、一般のサングラスや帽子を使っていたとはいえ、白杖の必要性までは感じていませんでした。それが注射を打った後、わずか1か月間で外出も危ぶまれるほど悪化し、慌ててネットで白杖を購入しました。  光過敏の悪化により通常のサングラスでも耐えられなくなっていったため、サングラスのなかに黒布をいれて片目は完全に見えない状態にし、もう片方の目は黒布に少し穴を開け、視野を最小に抑えました。  それでもかなり見えてしまうため、目をつぶったり、細目にしたり、はたまた、日傘を前倒しにしたりするなど工夫しました。後に電気溶接グラスの存在を知ってからは、それが手放せません  これは、光をまぶしく感じるだけでなく、とにかく動く光を目に入れないようにするためです。動く光が目に入ると、たちまち耐え難い苦痛に襲われ、目の周辺の筋肉も痛くなります。その痛みが持続するばかりか、無理をしてしまうと、長い時は月単位で体調不良に陥ることもあるのです。  しかし、世の中動く光だらけです。人間や車はもちろん、自分が動けば景色も動いてしまうため、それらを見ないようにするのに必死です。  ですので、意識して目を長くつぶって歩くように心がけました。室内でもカーテンを閉めっぱなしにして10年近くになります。 その気になれば見えるのに自分の意志で見ないようにするなんて、一般の視覚障害者とは正反対ですね。まさに自分の意志で行う度胸試しです。  それでも「子供ならきっと楽しんでやるに違いない! 塀の上を歩く、高い所に登りたがるなど、人間にはわざと危険で困難なことを遊びとしてやりたくなるところがある! スポーツもサッカーなど、ボールを手で持たず、わざわざ足で蹴って運ぶということをしてその困難さを楽しんでいるではないか!」  そう思った私は、室内の盲人スキルの向上にも取り組みました。やはり文化的な生活を支えるものとして、パソコンや読書もしたくてしょうがありません。  そのため、画面読み上げ機能を用いてパソコンを使えることを知った時は、期待感が膨らみ、早速習得に取り組みました。私は手帳が手に入らないために図書館の代読サービスもリハビリ施設での訓練も断られていたので、「それなら極力機器類を使いこなしていこう」という気持ちが強まりました。  幸い私は晴眼者時代からある程度のタッチタイピングもでき、ショートカットキーも覚えていたため、あまり苦労せずに習得できました。  ただ、歩行する時と同様、人間は目が使える限り、つい見たくなってしまいます。目を使えば一瞬で理解できてしまうことが、音では何倍も時間がかかり、あまりのかったるさにやっていられなくなるためです。  しかし、だからといって目を使えば、体に大きなダメージを受けてしまいます。ここは我慢するしかないと、画面を非表示にして操作しました。この機能は後で買うスマホにも付いていたので助かりました。  ここで気づいたのは、このかったるさに精神的に慣れる必要があることです。つい目を開けてしまえば、瞬時に画面を理解できてしまいます。しかし、それは反則のようなもので、サッカーならボールを手で掴んで走るのと同じです。反則ですから基本的にやってはいけません。それは通常なら使ってはいけない火事場の馬鹿力に過ぎないのですから頻繁に使うものではないと心がけました。  おかげで身体的に苦しまずに長時間パソコンが使えるようになり、晴眼者時代よりもパソコンが好きになりました。  このように盲人としてのスキルアップをゲーム感覚でこなしてきましたが、これは同時に治療に励むことでもありました。  使えば容易に悪化する症状であったため、怪我の治癒と同様、目を使わないことそのものがベストの治療といっても過言ではなかったからです。  そう、この「治療」が2つ目のゲームといえます。  ただ、怪我のように放っておけば治るかというと、そこまではいきません。やはりさらなる治癒を目指し、鍼灸やマッサージ、サプリなど色々試しました。また、酒もタバコもグルメにも興味がなく、自転車に乗って素晴らしい景色を見るのが趣味、おまけに人一倍活動好きで、職業上の夢は漫画家という私です。治癒にこだわるのは未練がましくもありますが、少しでも健康を手に入れることができたら、その見返りは大きいのです。  そして、手帳も年金も手に入らない福祉の谷間にいる限り、救われる道は健康になるしかないということもありました。  そして、3つ目のゲーム、福祉獲得にも乗り出すことになります。正直、そんなものなど必要なくなるほど治ってしまうのが第一の目標ですが、長年の療養生活から、先が見えないときは同時に全てを追うべしということを学習していました。なにせ眼瞼痙攣の発症までは治療のみに専念し、「治ったら色んなことをしようと思っていたのにいつまでも治らず、10年もの間、計画が立たなかったからです。  厳しいことですが、先が見えない病気にかかったときは、治らないことも前提に人生計画を立て、行動する必要があります。  こうして、2015年には自身の障害年金受給を賭けた裁判を提起、そして2017年には先述した手帳の視覚認定基準改定のための検討会が開催されたことを機に、若倉医師が呼びかけたPDES患者会のスタッフに加わり、検討会の構成員に要望書を送ったり、NHK視覚障害ナビ・ラジオに出演したりしました。  さらに翌2018年には、視力・視野以外の障害も含めた調査・研究班が立ち上がりました。私ももっと身軽に活動するため、新たな団体「みんなで勝ち取る眼球困難フロンティアの会」を立ち上げ、会員にも周知活動を促しました。  このような流れでネットを通じた社会への周知にも力を入れた結果、ツイッターでの活動が盛り上がり、中でも当事者仲間のリナさん(仮名)という28歳の女性が描いた漫画によるツイートが注目を集め、ネットテレビのAbema TVにてPDESの特集番組が組まれました。これはPDESの初の一般向けメディア登場となり、仲間たち皆で大いに喜びました。  しかし、それほどの成果を残したリナさん(仮名)がその約1年後に、29歳の若さで他界してしまったのです。死因は急な心停止です。数年に渡り病院から処方された薬を飲んでおり、その副作用のためと思われます。  実はこのように若い仲間を亡くすことは初めてではありません。  しかし、彼らとの別れにいつまでも悲しむ時間はありません。彼らも望んだPDESの福祉獲得、そして治療への探究を続けていくことこそが、彼らへの手向けになるのでしょうから。  このように辛く悲しいこともたくさんありますが、私は難しいゲームをこなしているという感覚で生きています。正直「もう少しハードル下げてくれないかな? 神様」と思うこともしばしばですが、私のような者には丁度良い難易度なのでしょう。  さて、それぞれのゲームは今どうなっているかと言いますと、裁判は第一審、第二審と敗訴し、最高裁へと進めております。ちなみに、争点はあくまでも、私が年金を申請した2015年当時の状態が2級以上に相当するか否かです。  手帳はどうかというと、今年3月、新たにまぶしさに特化した調査・研究班が立ち上がり、早速私も調査に応じました。  そして、最も成果を上げたゲームが、実はなんとなんと、第一志望の治癒です! 体の痛みが発生した22歳から約22年間試行錯誤してきましたが、眼瞼痙攣も含め、種々の症状をある程度緩和させることに成功したのです!  といっても、まだ現時点では白杖、電気溶接グラス、画面読み上げ機能が手放せていませんが、それでも目を使える時間が増え、各種の痛みからも大分解放されました。ロービジョンと全盲の差を味わっている方、慢性痛や倦怠感をお持ちの方なら、この喜びがご理解いただけるでしょう。  お陰様で、仕事という第4のゲームもわずかながら加わりました。長年の夢である漫画家はまだまだ程遠いため、目を使わずに出来る文章の領域で勝負しようと動き出しています。  昨年12月からは視覚障害者の文字起こし集団ブラインドライターズに所属し、文字起こしと執筆の修行を始めています。  さて、今後私はPDES患者の福祉獲得や、仲間にとって希望となる治癒の道を開くことが出来るのか!? 自分自身を羽ばたかせることが出来るのか!? そして、最高にエキサイティングで面白い人生を歩めるのか? ゲームはまだまだ続きます。 ※本作中の裁判につきましては、十一月十八日に障害年金裁判上告不受理が決定し、終了しております。