19条連絡会ニュース 6  発行日:2019年5月27日  発行:あん摩師等法19条連絡会(〒169-8664 東京都新宿区西早稲田2-18-2 日本盲人福祉センター内 電話:03-3200-0011(代表) FAX:03-3200-7755)  発行責任者:竹下義樹 (幹事会の開催後に発行) 今度こそ山場に向けて あん摩師等法19条連絡会 会長 竹下義樹  昨年秋は、あん摩師等法19条訴訟が山場を迎えるのではないかという流れから、11月11日を中心に、全国で決起集会を開催した。決起集会はほぼ全国で開催され、合計1800人を超える仲間が参集し、われわれの団結と「あん摩師等法19条を守れ」という思いをアピールすることができた。集会をご準備していただいた皆さんと集会にご参加いただいた方々に心からお礼申し上げる。  さて、3地裁での訴訟は、本年春から夏にかけて証人尋問の準備が進められた。東京地裁では棄却されたが、大阪や仙台ではまだわからない。どのような証人がどのような証言をするかは、裁判の趨勢に大きく影響するであろうことは言うまでもない。それだけに、私たちの活動、とりわけ傍聴は、極めて重要な意味を持ってくる。  他方、原告の証人申請に対し、被告(国)がどのように対応するのかについても気になるところである。この点についても、できるだけ情報を得たいと思う。  いずれにせよ、証人尋問が終われば結審となり、判決が言い渡されることになる。したがって、本年秋以後には、3地裁のいずれかで(あるいは3地裁すべてで)判決が言い渡されるものとして心づもりをしておくことが必要である。  引き続き皆さんのご支援をお願いする。 あんま師等法19条連絡会会計概要報告  総収入 1,668,909  総支出 1,632,226  残高 36,683 連絡会第12回幹事会議事要旨  日時:平成31年1月12日(土)10時30分〜12時30分  場所:東京都盲人福祉協会 会議室    1 出席者の確認   出席者(敬称略)  日盲連 竹下、小川、三宅、逢坂、小柴  日マ会 野本  理教連 杉本  全視協 稲垣、田中、東郷   全鍼師会 仲澤  東北協議会 高橋(代行)  関東協議会 笹原(代行)  近畿協議会 辰巳   欠席者(敬称略)  日盲連 伊藤、木村  日マ会 安田、高橋  理教連 栗原、本田  全視協 生田目  東北協議会 及川  関東協議会 鈴木    2.竹下会長挨拶  今年予想されることは、夏から秋にかけて地裁の判決が三地裁で出される見込みであること。今年は本裁判の山場になると思われるので、国を支援し、皆さんと知恵を出し合って対処していきたい。    3.議題  (1)新たな情勢について  年明けから原告は証人申請をしてくると思われる。 各証人の意見書、または、陳述書が出されるので医事課と接触し、国の対策を早く知りたいと思っている。  (2)集会の実施報告(東京、大阪、仙台)  大阪 近畿協議会・辰巳会長:昨年11月11日大阪市西区区民センターにて、150名の参加を得て行われた。第一部は原田義男コンサート、第二部の決起集会では、竹下会長からの応援メッセージと岡田弁護士の基調報告がビデオで会場に流され、続いて、日盲連・日マ会・全視協・理教連が決意表明を行い、最後にアピール文を採択して終了した。会場内の募金は45,000円が集まった。経費は17万5,000円。今後は参加者増につき検討していく。  仙台 東北協議会・高橋氏:同日、11月11日TKPアパホテル仙台駅北に、270名を集め開催された。及川協議会長のあいさつの後、大胡田弁護士による基調報告が行われた。応援メッセージは、各地の団体の代表のほかに、視覚障害児の母親など幅広い方からいただいた。また、当日、青森放送の取材があり放送もされ、CD版が青森図書館に寄贈された。経費については、まだ最終報告ではないが、約40万円程度と思われる。  東京 関東協議会・笹原氏:TKPシルク新宿に約500名の参加を得て行われた。開催に先立ち、JR新宿駅南口でビラ300枚を配布。大会は安田会長の開会宣言と鈴木関東協議会長の挨拶に続き、竹下会長による基調報告が行われた。各団体からの指定発言の後、アピール文を採択し閉会した。経費は90万円程度になると思われる。マスコミ関係では朝日新聞と点字毎日の取材があった。  事務局:他の会場でも募金やチラシの配布・署名活動などが行われた。一部のブロックでは大会と合わせて行った所もあり、参加人数のトータルで1,828名であった。  決起集会の総まとめしたものを作りたいとの意見が出された。東北ブロックでは情報誌を発行しており、次号に仙台大会の記事と写真を掲載する予定であることが報告された。  (3)各団体の取り組みについて  理教連:昨年4月に行われた理教連の大会で決議された、教員とPTAで国会議員に要望書を出す活動を始めたが、学校管理職の協力が得られず、したがって、PTAの協力も少なく、半数に至っていない。目標の6割を目指し、今年度中に提出したいと思っている。募金は第3回目を実施中である。また、理教連は点字毎日に毎月「理療の世界」を掲載しているが、1月号からは19条裁判に関する記事も連載していく予定となっている。来年度から各ブロック間の連携を一層密にしていきたいと思っている。  日マ会:引き続き晴眼会員にも19条の存続の意義につき理解を求めている。募金は、前回の報告の通り、日盲連に20万円を納め、その後に集まった募金については、まとまり次第納める予定である。  全鍼師会:昨年12月15日に鹿児島で行われた全鍼師会の東洋療法推進会議で視覚障害委員会と法制部会が発表し、広告の規制緩和や保険取り扱いに関し、視覚障害者に対する合理的配慮を訴えた。一方、19条への理解は十分とは言えず、引き続き理解を求めていきたい。  全視協:裁判傍聴には、仙台2割、大阪4割、東京6割の会員が参加している。募金は現在までに130万円が集まっており、毎月2,000円を送ってくる方もいる。葉書は2,200セットが終了。署名は最近動きがみられない。  日盲連:葉書の活動は現在止まっている。署名の数は12月現在、東京24,300、大阪、25,680、仙台28,399。カンパは460万円強集まっている。  関東協議会:点字の署名用紙を2,000部用意して配布している。また、裁判傍聴の前に各団体で集めた署名用紙を地裁民事第三部に直接提出している。11月8日には厚労省の記者クラブで決起集会の記者会見を行ったが、参加は北海道・共同・朝日・読売の4社にとどまった。  日盲連では、各団体から送られてきた署名用紙を3地裁に3回提出している。また、各団体に呼び掛けて現在までの署名数のトータルを出したいと思っている。   (4)今後の運動の取り組み  19条に関してマスコミを通じて広く国民の関心を高めたいが、記者会見に参加し関心の薄さを実感したとのことを受け意見交換が行われた。新聞社からは、裁判中でもあるため片方だけを応援することはできないが決起集会をイベントとして掲載は可能との説明があったこと、国民の関心を高めることは大事だが、裁判所への署名の提出・傍聴、国会に対して教員とPTAが要望書を提出するなど活動は活発に行われているとの意見が出された。また、ニュースに関しては、読者に興味をもってもらえる内容にしていくことが提案された。   (5)啓発活動について(次回ニュースの発行など)  19条連絡会ニュースNo.6の編集は理教連、巻頭言は竹下会長、第12回幹事会の議事要旨作成は日マ会との確認がされた。 また、1月30日午後の裁判報告会に「医道の日本」が取材に来る予定であることが伝えられた。   (6)その他  ※ 次回幹事会 2019年4月6日(土)10時30分〜 場所:日本盲人福祉センター    連絡会第13回幹事会議事要  日時:平成31年4月6日(土)10時30分〜12時30分  場所:日本盲人福祉センター 研修室    1.出席者の確認   出席者(敬称略) 日盲連 竹下、小川、三宅、逢坂、小柴 日マ会 野本 理教連 栗原、本田、杉本 全視協 田中、東郷、稲垣、生田目 全鍼師会 仲澤 東北協議会 及川 関東協議会 関谷(代行) 近畿協議会 辰巳   欠席者(敬称略) 日盲連 伊藤、木村 日マ会 安田、高橋 関東協議会 鈴木    2.会長挨拶  皆さんがご存じの通り、東京の裁判では、原告の証人申請は却下された。それをどのように分析すべきかどうか検討が必要かと思う。いずれにせよこれ以上、審議はしないという裁判所の意思表示だと思う。  そこで、本日は、我々の運動方針について、議論していきたいと思う。    3.議題  (1) 新たな情勢について 竹下会長:今まで裁判を担当していた厚労省の係官が人事異動になった。また、陳述書などの提出は、関係部門と相談し、保留することとした。  (2) 各団体の取り組みについて  理教連:全国の盲学校やPTAの賛同を 取り付け、3月27日(水)に19条裁判について、衆参全国会議員に対して陳情を行った。また「点字毎日」に19条裁判についての連載を継続中である。 全視協:募金が少し集まっていることや、定期刊行物に情勢報告を行っている。  日マ会:継続して署名活動を依頼している。去年の9月までの募金205,570円が集まり、日盲連に納めた。3月31日までに96,640円が集まったので、近々日盲連に納める予定である。 全鍼師会:今年10月20・21日に、横浜で大会を予定しており、分科会で19条裁判に関するものも企画中である。 日盲連:署名は3月末で東京地裁宛25,239筆、大阪地裁宛26,523筆、仙台地裁宛29,267筆であった。これは、日盲連に届いた署名の集計である。  また、「声の厚生」の音声雑誌で19条裁判関連記事を準備した。   (3) 各ブロックの取り組みについて  東北:情報誌「マッサージの未来」を発行しているが、その中に、健常者の学校の現状に関する記事がある。19条裁判について、かなり興味深い内容なので、ご覧になっていただきたい。3月末までハガキ投函を各会員にお願いしている。  東京:今まで東京地裁に直接持ち込んだ署名は9,475筆、そのうち点字署名は327筆。1月30日の裁判後、集会を開催したこと、今度の5月20日の裁判後にも集会を企画中であることを報告。 近畿:4月10日の裁判後に集会を企画中。   (4) 19条連絡会会計に関する報告について  各団体からの納入を確認した。昨年度の中央決起集会や地方決起集会の支払いなどを済ませ、3万円弱残っている。まだ、支払いが済んでいないものがあれば教えてほしい。   (5) 啓発活動について(次回ニュースの発行など) 竹下会長:マスコミ関係者に19条裁判が持つ意義を説明する必要性を感じる。皆さんの知恵を借りたい。次回の幹事会で具体案を検討する方向でいきたい。  理教連:ニュース6号は理教連が担当。議事要旨は、第12回幹事会、第13回幹事会を合わせて記載する。 今後、点字版の作成は、全視協が担当することとなった。   (6) その他  ※ 次回幹事会 2019年6月29日(土)10時30分から 日本盲人福祉センター 19条裁判勝訴をめざした衆参全国会議員要請行動のとりくみ報告  理教連法制部長  本田 東  昨年度末の2019年3月27日(水)、全盲P連(全国盲学校PTA連合会)と理教連の共催で「19条裁判勝訴をめざした衆参全国会議員要請行動」を行った。理教連としては初めての700人を超える全国会議員への要請行動であり、不安もあったが、多くの方々の参加と協力により、無事にとりくむことができた。   1.当日までの経緯  このとりくみは、昨年度の理教連総会の事業計画として提案し承認されたもので、「全国の盲学校等に呼びかけて、賛同校の連名による要請書を作成し、国会議員への要請を行う」というものだった。  当初の計画では、栗原会長より、全盲長(全国盲学校長会)と全盲P連(全国盲学校PTA連合会)に賛同を呼びかけていただき、理教連を含む3団体会長の連名で要請書を作成し、その要請書に全国の盲学校賛同校名を掲載する方向でとりくみを開始した。 しかし、各団体との話し合いの中で調整が必要な状況があり、最終的には全盲P連より全国の盲学校のPTA会長に賛同依頼の呼びかけを行っていただき、PTAの名称一覧を掲載するということになった。  賛同校募集の開始当初の11月1日時点で賛同の返信をいただいた学校(PTA)は、北海道旭川、長野県松本、大分、東京都立葛飾、沖縄の5校だった。その後、11月5日までに7校が、さらに当初期限とした11月末までには17校が加わり、計29校からの賛同が得られた。しかし、この時点ではまだ過半数にも達していない状況であったため、さらにこの活動の意義と必要性を訴え、理解を求め続けることとした。  その結果、年が明けた1月9日時点で理療教育課程のある盲学校の内、未回答校は19校となり、さらに働きかけを続けたところ、1月末には未回答校が7校までに達した。そして、理教連MLで進捗状況を報告しながら呼びかけを継続した甲斐あって、要請書を印刷する段階で、ついに未回答校1校までとなった。最終的には理教連加盟校58校中56校を含む、北は北海道から南は沖縄までの計62の賛同校PTAの連名による要請書に結実した。そしてこの要請書を通じて、衆参700人を超える国会議員に、私たちの思いを届けることができた。   2.要請行動報告  3月27日の要請行動には、年度末の多忙な時期にも関わらず、全盲P連からは清水会長をはじめ、副会長、事務局長の4名の方並びに全国盲学校退職校長会長の米谷先生がご参加くださった。理教連からは、埼玉盲11名、千葉盲13名、附属盲7名、文京盲3名、八王子盲1名、横浜市盲1名、国リハ3名、退職会員(法制部)2名、そして、大阪府立北支援からカンパを集めて学校代表として藤本先生が参加され、事務局の根岸さんを合わせて総勢47名の方々のご参加があった。  午前は、10時から主催者あいさつと若干の打合せの後、10班に分かれて、参議院議員242人への要請行動(各議員の部屋を訪問し、要請書を手渡し、理解・協力を依頼)を行った。  午後は、13時から同じく10班に分かれて、衆議院議員465人(前半は第2議員会館、後半は第1議員会館)への要請行動を行った。  さすがに一日行動でしたので、みなさんお疲れのご様子だったが、16時からのまとめの集会では、主催者と大阪北支援から参加いただいた藤本先生より元気の出る発言があり、充実感、達成感のある活動であったことが感じられた。  今回の活動は、700人を超える全国会議員への要請行動という理教連としては初めての大きなとりくみだったが、今まで行ってきたマッサージ診療報酬の適正化や機能訓練指導員へのはり・きゅう師追加問題での厚生労働委員(約70名)への要請行動と比べると、かなり良い感触を実感できるものだった。  これは、国会議員宛ての要請書の表題にあるように「あん摩・マッサージ・指圧に大きく依存している視覚障害者の職業自立を守り、保障するためにご理解とご支援を心よりお願いいたします」という主張が切実で理解されやすかったこと、そして、全国62校の盲学校PTAの賛同(連名)による要請書だったということが大きく影響したのではないかと考えられる。  今回、全国会議員に届けた要請書では、@私たち視覚障害者の職業自立は「あん摩・マッサージ・指圧」に支えられていること、A視覚障害者のあん摩マッサージ指圧師の職域優先は法律で定められていること、B晴眼者のはり・きゅう師養成学校が「国が晴眼者のあん摩師養成学校の新設を認めないのは、職業選択の自由を定めた憲法に違反している」として国を訴えて提訴していること、C私たち視覚障害者は、憲法に定められた「職業選択の自由」が実質的に保障されていない現状にあり、あん摩マッサージ指圧は、私たち視覚障害者の最後の砦であることの4点を訴えた。  2016年9月9日に開廷された大阪地裁第1回口頭弁論以降、この間、大阪地裁で13回、東京地裁で12回、仙台地裁で12回の口頭弁論が開かれてきたが、第一審も大詰めを迎えている中、全国会議員への要請行動が行えたことの意義は大きいと言える。  最後に、当日の要請行動に、お忙しい中ご参加いただいた皆様に、改めて感謝の意を表して報告とさせていただく。  本当にありがとうございました。  そして、これからもともにがんばりましょう。 19条は人類に生きる視覚障害者の財産 理療科教員連盟 杉本 龍亮   T 概要  日本と韓国は近くて遠い国になった。この原稿を書いている2019年の初春、日韓関係は最悪に向かうニュースしか報道されず、融合や尊重を基に築く平和的友好関係と同盟国とは程遠いと感じる。  しかし両国は多くのことで似通っており、制度での共通点は数多い。歴史的にお互いを見本とし、発展と競争を重ねた結果である。視覚障害者の自立という点においても、日本や韓国はお互いの制度を基に自立を目指してきた。その一例を以下に記す。   U 韓国でも19条裁判  韓国でも、視覚障害者の職業はあん摩師がほとんどで、占い師、盲学校の教員が主なものであった。最近は雇用促進法が施行され、各職業別に一定の障害者枠を設けるようになり、かなり社会参加がしやすい環境ができつつある。しかし、あん摩師の割合は未だに大きく、多くの視覚障害者が生計を維持するのに、あん摩師の職業は欠かせないものである。  ところが、韓国の視覚障害者にとって19条裁判と同様の事件があった。2006年5月25日憲法裁判所で『視覚障害者のあん摩師専業は違憲か合憲かの判断』裁判があった。この裁判は長年の無資格者達が免許を取得しようという運動によるもので、ソウル地方裁判所から高等裁判所に、また最高裁判所に当たる大法院、そして2003年の憲法裁判所では一度、あん摩師の専業を合憲だと判断した。特にこの裁判では、医療法第67条で晴眼者の無免許あん摩行為に対する処罰規定は合憲であるとの判断まで出していたし、無資格者による施術を取り締まることさえも論じた。  しかし、2006年の憲法裁判所全員裁判部では、逆転判決となった。補足だが、韓国では、あん摩師が視覚障害者の専業として認められている。全国13カ所にある盲学校に入学し、高等部であん摩・マッサージ・指圧の講義や実技を3年間受けて、一定の能力が認められたら、与えられる資格制度であり、健常者があん摩などの手技療法を行うことは省令に当たる規則で禁止されている。  この根拠は日本の厚生労働省に当たる韓国の保健福祉部発令の「あん摩師に関する規則」で定められていた。憲法裁判所では、この規則が憲法の国民の職業選択の自由を制限しているのではないか、また規則が定義するにはあまりにも大きな法的制限を定義しているのではないかという2点が論点になった。   1 視覚障害者に限られるあん摩師資格の認定は違憲  2006年5月25日韓国の憲法裁判所全員裁判部は視覚障害者に限り、あん摩師資格を認定できるようされている「あん摩師に関する規則第3条第1項第1号」が過剰禁止、法律留保の原則を超え、職業選択の自由を侵害していると裁判官7対1で違憲判決を下した。  その理由は、  @当条項において、視覚障害者でない人があん摩師の職業を選択しようとする場合、その自由を根本的に封鎖していること。  A視覚障害者の生計を保障しようとした立法目的の理念が妥当と認めても、一般人の特定職業進出を根本的に封鎖していることへの合理点を見つけられないこと。 などをあげた。  また、視覚障害者の生計保障の公益に対して、非視覚障害者達の受ける基本権侵害の方が規則の規定によって受ける法律上の利益に対する均衡性の消失が大きいとも判決理由文で述べた。  上記の理由に対して、ただ一人、反対した裁判官は「あん摩師に関する規則は、憲法第34条第5項の『国家の障害者保護』の規定に従って、就職に当たって極めて不利な立場にある視覚障害者の生計を保障するために定められたもので、必要かつ適切だ。」  また「視覚障害者以外の国民は、マッサージでなくても理学療法士など他の資格を取得して、この分野の仕事に従事することもできる」と述べた。  さて、理由文で触れた「法律の留保」とは  (1)法律による行政 と  (2)法律の留保型人権保障  の2種類の意味がある(wikipedia参照)。このうち、行政権を統制する権限は議会に留保されており、行政権の行使は議会が制定した法律に基づかなければならないことの考えをさす。つまり日本に置き換えれば、厚生労働省に当たる政府機関が制定したものが、憲法を制限してはならないという考えになる。   2 違憲決定に対する抗議行動  2006年5月25日午後2時、あん摩師に関する規則は課題禁止を定義しており、国民の職業選択の自由を制限していると判断された。  このニュースはあっという間に視覚障害者に知れ渡ることとなり、5月26日夕方から憲法裁判所の違憲判断撤回を訴え、抗議行動が連日、朝から晩まで始まった。それに、ソウル近辺の大韓あん摩師協会の会員500余名は分散し、保健福祉部医療政策チームが入っている政府庁舎別館の前であん摩師達の業権回復を訴えるデモを皮切りに、全国に抗議運動が広がった。  さらに、5月29日には、政府別館前で行っていた集会参加者の10余名は、午後3時頃からソウルを流れる漢江(ハンガン)の麻浦(マポ)大橋の上で、「今回の要求が受け入れられなければ、ここから漢江に飛び込む!!」と一層訴えを強めた。  また同日、一方では、大韓あん摩師協会があん摩業権回復のための非常対策委員会(「非対委」と略)を中心に動き出すこととなり、ソウルのグァンファムンにある市民に開かれた広場で3500余名の集会を開催した。この場で、「違憲宣告・憲裁判決、盲人に対する死刑宣告・死刑宣告!」、「違憲判決!なんと言うこと!!盲人家族・死んでしまう!死んでしまう!!」などと、口をそろえて、声を張り上げた。この集会で40代の男性は現状がどんなに視覚障害者に深刻な問題かを訴えるために、焼身自殺を起動した。警察の阻止により、なんとか命は取り留めたと、後日伝えられた。  次の日、30日午後5時には麻浦大橋で抗議していたグループのうち、4名が飛び込みを実行し、救助される。これに関しては当時の「朝鮮日報」の記事を引用する。  『視覚障害者4名、麻浦大橋から漢江に…』  視覚障害者のマッサージ師4人が、視覚障害者にだけマッサージ師の資格を与えるのは違憲とする憲法裁判所の判決に反発し、ソウル市の麻浦大橋から漢江に飛び込んだ。幸い、警察や消防の緊急救助隊が駆けつけ、命に別状はないという。30日午後5時30分頃、麻浦大橋の下に設置された工事用通路で丸く手をつないだ約10人の視覚障害者のマッサージ師達は「私達の権利を取り戻そう!」と叫んだ後、13メートル下の漢江に1分間隔で飛び降りた。これらのマッサージ師は全員、大韓マッサージ師協会京畿支部に所属していることが分かった。飛び降りたのはキム・ヨンファ事務局長(41)を先頭に計4人。マッサージ師らが飛び降りると、警察や消防の救助隊が駆けつけ、救助に当たった。警察関係者は「何人かは飛び降りた直後のショックでしばらく気を失ったが、全員命に別状はない」と話している。これらマッサージ師は今月29日、ソウル市光化門で行われた憲法裁判所糾弾集会に参加した後、同日午後3時頃に麻浦大橋に移動し、他のマッサージ師約100人と「政府が生計保障の方策を示すまではここを動かない」と徹夜で座り込みを続けていた。   3 全国視覚障害人青年連合会会員逮捕  6月1日午前3時、ソウル盲学校男子寄宿舎3階に集まっていた全国視覚障害人青年連合会(「全視青連」と略)の会員20余名が逮捕された。何ヵ所かの警察署に連行され、取り調べの後、釈放される。この団体は急遽結成された組織で、大学生や社会人になったばかりの人達が、麻浦大橋の集会で出会い、今回の問題を議論し、相談しようとした組織のようである。会員の多数がソウル盲学校の出身者であったため寄宿舎に集まり話し合っていたところ、学校側の要請により機動隊が突入した。   4 医療法改正のために実務協議会設置  6月1日非対委の代表 コン・インヒさんと保健福祉部ユ・シミン長官は医療法改正のための実務委員会設置に合意した。この設置においては、憲法裁判所の違憲判決の趣旨は活かすが、現行の視覚障害者あん摩師のあん摩業を保障できるよう、研究そして法案の立法までには、今までの通り困ることのないよう政府は最大限努力すると合意する。   5 あん摩師飛び降り自殺  2006年6月4日午前6時、42歳の男性あん摩師が9階の自宅から飛び降り、自殺した。30歳代に失明し、2000年過ぎにあん摩師の免許を取得し、出張あん摩を中心に生計を立てていたそうで、故人は麻浦大橋の集会に参加後、「もう、盲人はみんな職業を奪われ、死を待つしかないよ。」と周りの人達に挫折感を漏らしていたそうであった。  この事件により、6月7日韓国民放テレビチャンネルのMBCで特集を組んで、この問題を放送することになった。  この中で、なぜ視覚障害者にあん摩という業が専業になっていたのか、そして先進国の福祉政策と比較し、視覚障害者の自立に欠かせない現状を説明し、多くの出演者やジャーナリストからも違憲判決に対する反対意見を長時間放映した。ワイドショーみたいな感じだが、大学の教授は勿論、その問題に関する当事者達も出演し、激論を交わした。観客からの意見も聞いたり、視聴者からの電話も直接繋いで意見を交わしたりした。健常者の無免許者代表である大韓スポーツマッサージ師会会長ソン・キテクさんも意見を述べた。当日の番組では、圧倒的な違憲判決に対する反対意見が大多数を占め、世論は視覚障害者の支持に傾いた。   6 保健福祉部長官の説得  6月8日、保健福祉部のユ・シミン長官はデモ集会を続けていた麻浦大橋に現れ、集会の解散を説得した。  「視覚障害者達のデモは、私は勿論、一般国民の不安を煽る。今日ぐらいでデモをやめ、次の段階に入り、相談しあうのはどうか。憲法裁判所の判決のため、あん摩師を視覚障害者の専業とするわけにはいかないけれど、事実上政府立法案で、視覚障害者に多くの就職先を準備できるよう努力する。視覚障害者達が専門職業人として、また医療人として、自負心と名誉を持って働けるよう考慮する。」 と説得した。  しかし視覚障害者達は集会をやめなかった。代表は長官の誘いに対して、「私達の会員は死ぬか生きるかの瀬戸際に立っている。私達に選択の余裕がありましたら、今の話を十分考慮しますが、そんな余裕はありません。」、「他に職業を私達が何とかできるのならやりますが、他にできるものがありません。私達が騒ぐことで国民の皆様にご心配をかけることは申し訳ありません。しかし私達の生存をかけている以上、集会を中断する訳にはいきません。」と、断行と集会の続行を主張した。長官と委員長の話し合いの間、大勢のあん摩師達は「我々を殺さないで下さい!」などと泣き叫んだそうである。引き続き、長官はあん摩師達を直接説得しようとする。あん摩師達を前にし、「みなさん!あん摩師の開業権は視覚障害者のみにすることも可能である。法的、経済的保障も検討する。だからデモをやめて話し合いましょう!」などと、幾つか条件を提示したが、一致団結したあん摩師の反応を見て、30分で去ったとのこと。   7 社会的雰囲気  2006年6月5日、国会の民主労働党では生涯人委員会声明書を通じて、「憲法裁判所は、ただ法理的解釈のみを持って違憲判決を出し、視覚障害者達の生存権を崖っぷちに追いやっている。また、政府・与党、裁判所は社会の障害者達と共に生きる意志があるか疑わざるを得ない。」、「また、障害者の生存権要求は我ら社会の不変的人権保障を保証することが当然であり、そんな社会にすすんでいくための最も基本的権利である。」  民労党は政府に対して、「実質的、至急的視覚障害者の生存権を保証すべく代替立法を制定すべき。」と要求した。ハンナラ党も同日午前、現案ブリーフィング(つまり現状把握会)を通じて、「唯一と言える生存手段が窮地に立たされている視覚障害者達の訴えは十分理解できる。」、 「政府はこれ以上不幸が起きないよう対策を講じなくてはならない。」、「特定の集団に限られた問題としてとらえるのではなく、視覚障害者やその家族の生存に関連する問題として認識し、「総理」が直接、関連部署を招集し、合同対策を練るのが妥当である。」と要求した。  視覚障害者達の訴えには政界のみならず、社会各方面で理解の意を表す声明が発表された。  大韓漢方医医師協会を始め、全国教員組合、中小企業経営者総連合会などから視覚障害者の立場を指示する声明書が発表された。  特に、大韓漢方医医師会と言えば、6年間課程の漢方医の教育課程を経て、漢方医の国家試験を受け漢方医の医師免許を取得する医師の協会である。韓国の漢方医と言えば、漢方薬を処方することはもちろん、東洋医学関係のすべての施術方法を許可される。この漢方医協会は鍼施術においては、あん摩師の施術は漢方医の営業侵害と主張する、あん摩師協会とは仲の悪い協会である。しかし、以下の声明書を発表した。  『この度の、憲法裁判所の判断は現状を無視した判決であり、あん摩師の生存権を脅かす判断であるため、即撤回するよう強く要求する!』というタイトルだが、骨子としては法の一部解釈を持って、論理的に説明しようとしたことには理解できるところもある。しかし、あん摩師の免許制度緩和は無分別な医療類似業者に法の下、隠れ蓑を提供することと同様である。現在、倫理を無視し、退廃的営業を行っているスポーツマッサージ点や美容室が町であふれており、行政がまともに取り締まりもできない現状、一部健常者の主張を受け入れ、あん摩師規制をなくすとは言語道断である。無分別なマッサージ師が増えれば、国民健康守護の権利は守られないだろう。  「我々の要求が受け入れなければ、大韓あん摩師協会と緊密に話し合い、我々も最大限あん摩師協会に協力する。」   8 医療法改正のための実務協議の開催  2006年6月12日午後、医療法改正の実務者協議が保健福祉部会議室で開かれた。ここにはイム・ジョンギュ医療政策チーム長と非対委代表2名、ジョン・ファウォン議員(韓国初の全盲の国会議員)とジャン・ヒャンシュク議員の補佐官が各1名、双方の弁護士1名の7名の参加であった。非対委側は違憲判決の根拠になったあん摩師に関する規則第3条に定義されている「前が見えない者」と限定されている用語を、元の法律である医療法第61条に「視覚障害者」と定義することで、法律留保の原則を回避したいという主張を強力に行った。  一方、保健福祉部側はあん摩師制度はそのまま維持しながら、別途のマッサージ教育機関を新設すること、マッサージ院の開設時、障害者の雇用を義務化することで妥協点を模索しようとした。  この日は、物別れに終わり、新たな案を準備することで会議は解散した。  6月16日の2次協議会では非対委から「あん摩師」を「手技師」にその名称を変更して、改正案を提示した。保健福祉部側は違憲の要素を解消できないという理由で、一部あん摩業を非視覚障害者側にも許容する法案を要求した。  6月19日、第3回会議でも保健福祉部は非視覚障害者達にあん摩業を許容すべきだという原則を曲げなかったが、開設権だけは視覚障害者に限るという妥協案を提示した。しかし、非対委側は一切妥協せず、会議は終わった。   9 自殺者が続く  2006年6月13日午後5時半、ビョン・キョンエ(55歳女性)さんは住んでいたアパート11階から飛び降り、自殺した。周囲の人達によれば、違憲判決以後あん摩の仕事が減り、娘の学費工面に苦慮していたそうである。40歳代、交通事故により失明し、2年前は夫も亡くなり、唯一の生き甲斐は仕事をして娘の学費を何とかすることが目標であったが、将来を悲観し自殺を選んだようである。   10 医療法改正法案をハンナラ党が党の決定事項として  ジョン・ファウォン国会議員は、6月16日、医療法改正案として国会事務所に提出した。違憲判決に定義されたように、下位の法律が上位の法律を制限することへの問題を解消するために、「あん摩師」を「手技師」に改称し、その手技師の資格要件として視覚障害者に限ると定義したものであった。そして、現行の保健福祉部令である「あん摩師に関する規則」を上位の法律である医療法第61条1項に法律として規定することが骨子であった。従って、第61条3項の「あん摩施術所」が「手技施術所」に、「あん摩院」を「手技院」に、「あん摩師会長」を「手技師会長」に各々名称を改めた。この医療法改正案はハンナラ党の国会議員123名が署名・捺印し、立法発議したと知られている。  ジョン・ファウォン議員によれば、改正法律案は6月下旬の臨時国会に採択し、9月に開かれる定期国会で通過させたいとのことであった。しかし、この法案は審議会に乗せることができず、その理由は臨時国会では期日が短かったとのこと、次回の国会で改めて審議することとなる。   11 宗教界の動き  プロテスタント系の団体である「社会に対する責任を持つ会」の会員達の協力が得られた。視覚障害者達の示威抗議において、100余名の会員が6月20日午後よりデモに参加し、ソウル麻浦大橋から国会議事堂までの行進にも協力した。会員達は進んで、周辺の市民達に今回の憲法裁判所の判断に対する抗議行動の理由を説明しながら、視覚障害者達の生存権の確立に協力を訴えた。   12 麻浦大橋での示威行動解散  5月29日からソウル麻浦大橋で行われていた示威行動が6月22日午後9時頃解散した。これはユ・シミン保健福祉部長官が集会会場を訪ね、無資格あん摩師達による各種マッサージ施術所の取り締まりを強化するとの公文書を各地方団体に送るとともに、視覚障害者生存権を補償するあん摩師に関する代替立法を迅速に努力するとの公約を、集会場のみんなの前で約束した結果であった。  示威行動はしっかり秩序を持って指揮されていることを表すためにも、一同は非対委の会長の一言で解散した。梅雨時期になれば川が氾濫する危険もあり、非対委は一度、政府側の要求を受け入れた。  しかし主張の貫徹のために、次の日からは国会議事堂の前、国民銀行西部支店前の広場で午後1時から8時まで示威行動を始めた。  6月27日午後、煮え切らない保健福祉部の対応に業を煮やした10人弱の視覚障害者達が実力行使を実行する。サムヒエキスプレスコンベンションタワー11階屋上の手すりにロープで体を縛り、ぶら下がる場面があった。いつでもロープを断ち切って飛び降りる体勢で、政府の対応を批判した。屋上に続く階段には、示威行動を止めようとする警察の侵入を防ぐために、20名の視覚障害者達がシンナーのボトルを体につけ、身を挺してそれを防いだ。  解散当時、長官が約束していた無免許者の厳しい取り締まりの約束など、全く進んでいないことなどが示威行動の過激さを誘発させた。28日には警察と衝突し、強制的に連行され、70余名のあん摩師が警察に連行された。また6月29日は、医療法改正法案について与党の開かれたウリ党が審議を拒否しているとの話が伝わり、与党の建物の前に示威行動のあん摩師達は移動した。翌6月30日は臨時国会の閉会の日だったが、雨の中、与党の建物の前に集結した視覚障害者達は国会議事堂に向けて、視覚障害者達の生存権回復を叫び続けた。  この日、午後4時頃、与党の幹事長と非対委の代表者達が面談することができた。この場で幹事長は視覚障害者達の要求に沿った内容の医療法改正案を、次回の国会では党の案として受け入れ通過させると約束する。再び幹事長の約束を建物の前で待っていた会員に説明し、解散を決めた。   13 国会内での動き  話は前後するが、当時の与党「開かれたウリ党」内でも代替立法が進んでいた。骨子は、あん摩師免許を視覚障害者にも、晴眼者にも授与できるようにする。しかし、施術所の開業権だけは視覚障害者に限るというものだった。  一方、野党の「民主労働党」のノ・ヒェチャン議員は6月23日国会法事委において、「視覚障害者のみあん摩師になれるよう医療法改正案を提出する。」と発表した。ノ・ヒェチャン議員によれば、去る5月25日の憲法裁判所の「あん摩師の規則違憲決定」はあん摩師に対する視覚障害者の独占権限付与そのものを違憲として判断したものではないと司法側から議員へ説明があったとのことだった。その理由として、  ・憲法裁判官は9名で、そのうち6名以上の同意により違憲決定が成立する。  ・しかし、職業選択の自由に対する課題禁止原則に同意した裁判官は5名に過ぎなかったこと。  ・従って、視覚障害者に限るあん摩独占権限が定義されている「規則」が、法律による定義であれば、当然今回の裁判判決は合憲に変わる。 と説明した。これは、法律留保に対する側面からの解釈である。  法律の留保型人権保障として、国民の人権保障は無制限ではなく、法律が認める範囲内においてという留保がつくという考えである。言い換えれば、国民の人権は法律を持ってすれば制約しうるということになる。  上記とは別に2回目の与党案が出た。野党と同様の内容に改め、「あん摩師」を、医療法の63条に位置づけ、更に視覚障害者のみの資格認定と限定したものに代わった。注目すべきことは、与党国会議員の発案理由である。  ・視覚障害者のあん摩師制度に対する憲法裁判所の違憲判決は視覚障害者の生存権を致命的に犯したと言える。  ・しかし、憲法裁判所の判決は尊重されるべきものである。  ・この判決に対して、絶対多数の国民が視覚障害者のあん摩業保証を熱望しているのも事実である。  ・憲法裁判所の判決を尊重しながら、視覚障害者の生存権を救済するために、国会は超党派的にこの案を持って、迅速的に通過させることを呼びかける。  ・この法案の至急提案のためにも、国会開会を早めることとする。 などと発表した。  8月24日、紆余曲折があったものの、保健福祉常任委員会で改正医療法61条が満場一致で通過した。最終的な内容は視覚障害者のみに、あん摩師の資格を授与するものであった。これは、国会開会に先立ち、暑い中、与党事務所の前や国会議事堂の前、関連庁舎の前で、連日、視覚障害者の生存権回復を訴え続けた結果と言えよう。  また、同年8月に、韓国では大雨による被災者が発生した。これに対して、デモに参加した視覚障害者達は1日で義援金を集め、1,478万9,189円になった。当時の日本円とのレートで200万近くの金額になる。翌22日、非対委の代表がKBSの公共テレビに「視覚障害者達の志です!」というメッセージと共に寄付を行った。8月26日、改正医療法は本会議にて、正式に通過した。   14 違憲判決に対する異議  「我らの憲法第15条にすべての国民には職業選択の自由を有すると明記されており、この権利を主張する」と大韓マッサージ師総連合会側は裁判に打って出たわけである。  それに対して、視覚障害者側は憲法の第34条の国民基本権と生存権を中心に訴えてきた。第2項で「国家は社会保障、社会福祉の増進に努力する義務を持つ。」、また第5項には「身体障害者、及び疾病、高齢、その他の事由により生活能力がない国民は法律の定めることにより国家の保護を受ける。」と言う法律を元に戦ったのである。   15 まとめ  韓国の視覚障害者があん摩師の専業を守り切れたのは、何が勝因だっただろうか?一言で、「国民性」といえるかも知れない。感情に訴えて、マスコミを味方につけ、国民の世論が視覚障害者の専業を支持したこと、そこから最高裁判所の判決がひっくり返ることは、世界で類を見られない。  これには、視覚障害者本人が切実に訴え続けたこと、主張を最後まで妥協せず通したこと、役員達が命がけでデモの先頭に立って抗議行動を行ったことが、要だったと思われる。  今、日本では19条の裁判が進行中である。視覚障害者の一部では19条の有名無実化を論じたり、取引材料にした方が良いと言っている人もいる。  私は19条は、私達だけの財産ではないと思う。多くの国において、視覚障害者の自立を検討する際、必ず19条は見本とされる。つまり、これからの世界に生まれてくる視覚障害者の共有の財産であり、日本のあん摩師制度はアジアのみならず、世界の視覚障害者にとって大切な救いの手であるのだ。  過去、「視覚障害者はあん摩があるから、良いじゃないか!」と言われ、無理矢理にあん摩師の仕事に就くことになったとして、恨みを持った方もいるようだが、再度、考えてみていただきたい。今の生活がどのようにして成り立ったのか。  第2次世界戦争中、日本の同志社大学に留学し、国家反逆罪により福岡でなくなった尹東柱(ユン・ドンジュ)氏の詞を紹介する。悔しさや憎しみを超え、これからの未来をどのように生きていくかを!   序詩  死ぬ日まで 空を仰ぎ  一点の はじなきことを  葉あいに そよぐ風にも  わたしは 心痛んだ  星をうたう心で  生きとし生けるものを いとおしまねば  そして わたしに与えられた道を  歩みゆかねば  今宵も 星が 風に吹き晒される