「読めること書けること」 山口県  佐藤(さとう) 冨士枝(ふじえ)  「いってきまーす」  「いってらっしゃい。車に気をつけてね」  姉と妹は毎日元気に学校に行きます。  目が見えない私はいつも家でお留守番です。  私が一番ショックだったのは妹が学校に行き始めたことでした。今までは妹と二人でお留守番をしていたのですが妹が学校に行き始めると私は本当にひとりぼっちになってしまったのです。  自分が学校に行けない理由はわかっていました。  目が見えないから字が読めないし字を書くことができない。それに知らない所に行くと一人では歩けない。学校のような広い建物の中を覚えるのは難しいかもしれない。などと自分でその理由を考えて納得していたのでした。  姉はよく学校の図書室で本を借りてきて私達に読んでくれました。中でも私は「若草物語」や「赤毛のアン」が大好きで何度も読んでほしいとせがみました。夜遅くまで妹と二人で「もうちょっと。もうちょっと」とせがみながら聞いていました。  「明日は学校だから早く寝なさい」母に何度注意されたことでしょう。母も私が本を読んでもらうのが好きだということを知っていたので雨降りの日や自分が家にいる時はなるべく時間を見つけては私に本を読んでくれました。しかし母が読んでくれる本は昔の本で「石童丸」とか「楠正成」というような物語でした。そして母は同じ物語を何度となく繰り返し読んでくれたので私はこの物語の結末はこうだと覚えてしまっていました。それでも読んでもらえるのがうれしくて一生懸命聞いていました。  ある日母は私に箱を持たせて言いました。  「あんたも自分の名前ぐらい書けなければ恥ずかしいから字を覚えなさい。その箱の中には厚紙でひらがなの五十音が切り抜いたものが入っているから触ってごらん」そう言われて私は箱を開けて中のものを触ってみました。いろいろな形をした文字がたくさんあります。私が文字というものに触った瞬間でした。母がその中のひとつを取り「これが『あ』よ。さあこのテイブルの上に並べていくから順に触ってごらん。『あ』の次は『い』」母はひとつひとつ口で説明しながら並べていきます。私はそれをそっと触ってその文字の形を覚えていきました。  姉や妹が学校から帰るとよく文字の当てっこの手伝いをしてくれました。それは私の手のひらに文字を書いてもらい私がなんという字か答えるのです。覚えるのは簡単でした。書くことも姉のアイディアで紙に折り目をつけてその線に沿ってなんとか読めるように書くことができました。でも読むことができません。間違いを直すことができません。次第に私の心は沈んでいきました。どんなに努力してもどうにもならない壁です。私の記憶力はそれほどよくはないので書いた文章を全部覚えておくわけにはいかないし時が経てば忘れるということもあります。私は悩みました。箱に入った文字と折り目をつけた紙を前にぼんやりする日が多くなりました。そんな私を見て母が「おいで」と言って私を近くの空き地に連れて行きました。そして文字を土に彫り刻んで私に指で読ませました。こう書いてありました。  「がんばりなさい。知っているということは決して無駄ではありません」  それが読めた時の私の喜びは何にも例えようがありませんでした。  そうだ知っているということは決して無駄ではないのだ。私は心からそう思いました。  私は姉や妹に手紙を書いて読んでもらいました。  「だいぶ上手になったね」  褒められてもやっぱり私の心は満たされません。なぜなら一方通行だからです。  姉が読んでくれる本はとても楽しみでしたがそれでも自分が読みたい時に読みたい本を好きなだけ読めたらどんなに楽しいだろうという欲望が湧いてきました。それが日増しに大きくなり学校に行きたいそう思うようになりました。  稲刈りも終わり人々は冬の準備を始めていました。  私は母が白菜漬けを作るのを手伝っていました。そこへ市の福祉課の人が訪ねてこられ突然私に  「学校に行きたいですか」と聞かれました。  私は即座に「はい」と答えました。  それからその人は長い間母と話していましたがやがて帰っていきました。  お正月が過ぎまた春が巡ってきました。私は庭の隅に一本だけ咲いているチューリップを両手で包むようにしてそっと触りながらぼんやりとしゃがんでいました。柔らかな春の日はうららかで鶯の声も聞こえます。  今日もまたひとりぼっちの一日が始まりました。やがて母も仕事に行ってしまうでしょう。いつものことなのですが私はさびしくて泣きたくなるのです。だからこうして何かに夢中になっているふりをするのです。  その日突然母が大きな声で私を呼びました。驚いて行ってみると  「そこに座りなさい」と言われました。私は母の前に正座しました。  「やっとあんたを学校に行かせてあげることができるようになったよ。その学校は下関にあるんだけどね。四月に入学してくださいって。ほらこのはがきに書いてあるのよ」。母はうれしそうに私の手にはがきを握らせました。私はただ黙っていました。すぐには信じられなかったのです。  母はそんな私を不思議に思ったのか「あんた学校に行きたかったんでしょ」と聞きます。私はあわてて大きく頷きました。  母はこう言いました。  「下関はここからだとちょっと遠いからあんたは寄宿舎に入ることになるけどね。そこにはあんたと同じように目の悪い人がたくさんいるからすぐ友達もできるよ。一生懸命勉強をしてあんたの好きな本を好きなだけ読めるようになりなさい」  母はそう言って私の手を両手で包み  「よかったね・・・。これで母さんは安心できる。私らがいなくなった後あんたが姉妹の世話にならなければ生きていけないようなことになったらどうしようかと母さん父さんもそのことばかり心配で仕方がなかったのよ。学校に行ったらしっかり勉強をして鍼灸の免許をもらいなさい。そうすれば自分で働いてお金を貰うことができるし自分で欲しいものが買えるようになるからね」  そういいながら母は泣いていました。大きな涙の粒がぼたぼたと私の手に降りかかりました。  その夜私は学校のことを考えると眠れませんでした。  私のような目が見えない者でも読んだり書いたりできる文字があるのだろうか。もしあるのならお姉ちゃんや妹が持っている国語や算数や理科などの教科書もあるだろう。それなら私もお姉ちゃんや妹と一緒になれる。そう思うと私はわくわくしてきます。早く学校に行きたい。そう思いました。  三月の末になると母は私のためにふとんやその他日常生活に必要なものを揃えてくれました。  そうして私は山口県立盲学校に入学しました。そして点字を習いました。覚えるのは簡単でしたが読むのには少し時間がかかりました。  学校には図書室がありました。私はそこでいろいろな本を読むことができました。日曜日はほとんど図書室にいたような気がします。  学校は私にとってとても楽しい場所でした。友達はみんな明るくて親切で優しい人ばかりでした。夜遅くまで勉強のこと将来のこと自分の家族のことなど語り合いました。そしてみんなそれぞれ悩みもあり夢もあり一生懸命で生きていることを知りました。今まで私はきょうだい以外に同年代の友達がいなかったので友達ができたことはそれはそれは嬉しいことでした。  私が学校を卒業した日に一番喜んでくれたのは両親でした。  その両親も今はいません。  十年前九十二歳で母が亡くなったのですが亡くなるちょうど一週間前その日が当番で母のそばにいた妹に「ふうちゃんを呼んでくれんか?ふうちゃんを抱きたいから」と母は言ったのだそうです。そのとき妹は「なによ。ばあちゃん。あんな大きなものを抱いてどうするのよ。かわいくもないのに」と言って笑ったそうです。  私が行くと母は私を抱きしめて「あんたには小さい時から苦労させてすまなかったのう」と言いました。一瞬私は何と答えればよいかわかりませんでした。それで  「まーばあちゃん。私を学校に行かせてくれて鍼灸の免許を取らせてくれて。大丈夫よ。本当にありがとね」と言いました。  あれから十年が過ぎました。  歳をとると外に出るのがおっくうになります。母はお人形や造花を作って部屋に飾ったり人にあげたりしていましたが私は本を読んでいます。  学校に行かせてもらったおかげで今は読むことも書くことも出来ます。生前母がアイスクリームの棒を集めて作った五重塔を触りながら  「ばあちゃん。私を学校に行かせてくれて本当にありがとね」と呟いている私です。