「エロシェンコを偲ぶ会」に参加して 日盲連点字図書館館長 大内進  2015年は、エロシェンコの生誕125年にもあたる年でした。これを記念し「エロシェンコ生誕125周年記念事業実行委員会」が組織され、さまざまなイベントが催されました。これらの事柄については、すでに前項で紹介されています。詳しいことはそちらを確認してください。一連の「エロシェンコ生誕125周年記念事業実行委員会」主催のイベントの一つとして「エロシェンコを偲ぶ会」が、昨年の12月23日に新宿中村屋の8階にあるレストラン「Granna」で開催されました。日本に滞在中のエロシェンコは、中村屋の創業者である相馬愛蔵・黒光夫妻の庇護を受けており、浅からぬ縁があります。そのゆかりのある中村屋で開催された会に出席する機会を得ましたので、以下に紹介します。  「エロシェンコを偲ぶ会」は、1959年2月6日と2010年12月23日にも開催されています。3回目になる今回は、記念事業実行委員会がエスペラント関係者を中心に構成されており、盲人としてのエロシェンコというよりもエスペランティストとしてのエロシェンコに焦点が当たっていたように思います。営業中のレストランで開催されたため、38席と参加者数が限定されていたことも影響してか、盲人の参加は、日本点字図書館理事長の田中徹二氏と元筑波大学附属盲学校教諭の木村愛子氏の2名だけでした。視覚障害に関わっている立場から参加したものにとっては、寂しくもあり、また少しばかり居心地の悪さを感じたものでした。ともあれ、会自体は盛況で意義のあるものでした。  会は、引田秋生事務局長の司会で進められました。引田氏は前の筑波大学附属盲学校校長です。エスペランティストとして今回の事業に尽力されました。  開会後、バラライカとギターの音色がレストランに満ち溢れました。「デュオ・マトリョーシカ」による演奏です。ウクライナの民謡などエロシェンコにちなんだ曲が披露され、物悲しくノスタルジーを感じさせる曲の数々にしばし聴き入りました。その後、中村屋CSR推進室課長の広沢久美子氏から「エロシェンコと新宿中村屋」について伺いました。お話から当時の中村屋が知識人や文化人のサロンになっており、エロシェンコがさまざまな人と交流していたことを改めて確認できました。  参加者が自己紹介をした後、お三方からミニ講演がありました。  エロシェンコに関する数々の著作を残された高杉一郎さんの長女田中泰子さんは、お父様の思い出を語ってくださいました。一橋大学名誉教授の田中克彦さんは「明日のエスペラント」と題して、言語学者としての博識を披歴されました。田中さんはフィンランドのラムステッドという大変魅力ある外交官が、11年間の日本滞在中にエスペラントを広めた功績に触れながら、国という背景がないエスペラントが永らえるには、エスペラントをやる人が魅力的でなければならないと語られました。参加されているエスペランティストの皆さんが、この言葉をどう受け止められたか、大変興味を持ちました。いずれにしても、未だにエロシェンコが語り継がれるのは、彼が魅力的な人物であることの証であるということを納得しました。3人目の澤地久枝さんは、長谷川テル(エスペラント名はヴェルダ・マーヨ、反戦活動家)との関連でエスペランティストの中にも尊敬できる人とそうでない人がいること、昨今の政治の動きに危惧する立場からエロシェンコの言動は平和を願うものであり、今こそその精神が一層大切になってきていることを熱く語られました。  マイクが使えない環境の中で3人のお話にじっくり耳を傾けることができなかったのは残念でしたが、おいしい食事と共に贅沢な時間を過ごすことができ、今でも私たちを惹きつけるエロシェンコに感謝して中村屋を後にしました。