点字日本 第500号記念別冊 平成25年8月1日発行 点字日本 第500号記念別冊 目次 500号記念別冊発刊に当たって 編集長 大橋由昌 1  第1章 「点字日本」500号発行を祝う 「点字日本」500号を記念して 日盲連会長 竹下義樹 2 「点字日本」500号記念号の発行に寄せて 日盲連名誉会長 笹川吉彦 3 日盲連の新たな取り組み 日盲連情報部長・点字図書館長 大橋由昌 4 「点字日本」500号に寄せて 新潟県視覚障害者福祉協会理事長 松永秀夫 8 祝「点字日本」500号 日盲連点字出版所 一柳直治 10  第2章 切り抜き帳―掲載原稿より再録 新春随想「新しい前進の年」 日盲連会長 金成(かなり)甚五郎 12 新会長就任のご挨拶 日盲連会長 高尾正徳 13 編集後記「2000年を振り返る」 日盲連情報部長 牧田克輔 15 巨星墜つ 村谷昌弘日盲連名誉会長逝く 16 われらが城「新センター」完成 17 *新センター完成は新たなスタートの年 日盲連会長 笹川吉彦 東日本大震災 笹川会長ら被災地へ 19  *安否確認を阻むもの 日盲連情報部長 鈴木孝幸  第3章 「点字日本」でふりかえるポスト50周年 21  ●500号記念別冊発刊に当たって 編集長 大橋由昌  本誌「点字日本」の2013(平成25)年8月号は、1972(昭和47)年に発刊してから、区切りの500号となりました。40年余りも継続できましたのは、ひとえに読者各位のご支援の賜物だと感謝しております。改めて御礼申し上げます。  発刊の前年に日盲福祉センターが落成しておりますので、本誌は施設の活動とともに歩んできたことになります。発行責任者で健筆を振るわれた歴代会長も、金成甚五郎氏、高尾正徳氏、村谷昌弘氏、笹川吉彦氏と四代を数え、そして弁護士としても活躍する竹下義樹現会長に引き継がれています。本誌は、「愛盲時報」などとともに、日本盲人会連合を代表する刊行物のひとつに位置づけられるようになりました。節目の記念号ですので、第1章「点字日本500号発行を祝う」として、現在の日盲連関係者に執筆を依頼し、第2章「切り抜き帳」として掲載原稿より、メルクマールとなる資料を再録しました。再録した原稿の著者肩書などは、当時のまま掲載してあります。  「継続は力なり」といわれます。今後も、本連合の活動報告や福祉政策の情報など、読者のニーズに対応した雑誌であるよう、スタッフ一同努力する所存です。しかしながら、時代は巡り、世は移り行くもの。発刊当時の視覚障害者を取り巻く状況に比して、障害者差別解消法の成立を見た現在とは、大きく異なっています。ネット社会とも言われる情報通信環境は、多種多様な情報を即時的に伝えてくれます。そうした中で、本誌の編集方針も見直す時期に来ていると感じています。ぜひ、建設的なご意見をお寄せ下さい。  第1章 「点字日本」500号発行を祝う  ○「点字日本」500号を記念して 日盲連会長 竹下義樹  私達が会員に対し、情報提供の非常に大事な媒体として位置付けてきた「点字日本」が、500号という記念すべき号を迎えることになりました。  500号といえば非常に区切りの良い数字でありますが、二つの意味があると思います。この500号というのは、500回にわたって私達の声が会員に届けられたということになります。この500号という数字は、そういう意味では継続性というものを意味することになるだろうと思います。  もう一つの問題は、長年続けば良いというものではなくて、新しい時代にふさわしい情報を届けて行くことが問われることになります。500号という節目を、私たちは次の世代に向かって新しい媒体として、新しい情報提供の内容が盛り込まれた「点字日本」に、大いに発展させて行くことを、日盲連としても、あるいは編集を担当して下さる皆さんの知恵を出し合いながら、皆さんの期待に添う点字日本を発展させて行きたいと思います。  沢山の方が点字日本を読んで、さらに日盲連に要望を寄せていただく、国の動きを理解していただくことを切に要望し、500号の記念の言葉とさせていただきます。  ○「点字日本」500号記念号の発行に寄せて 日盲連名誉会長 笹川吉彦  日本盲人会連合の機関誌「点字日本」が発行されて、めでたく500号を迎えました。継続は力なりと言いますが、まさに、そのものだと思います。厳しい財政状況のもと、発行を決断された当時の方々や編集から点字印刷、そして各加盟団体への配布と、その任にあたられた多くの方々に対し、深く敬意を表します。  改めて申し上げるまでもなく、団体にとって、機関誌の果たすべき役割はきわめて大きく、刻々と変わる社会情勢や日盲連の動き、そして、加盟各団体の動きなど、重要な情報源としての役割も果たしております。  私も役目柄、巻頭言を書かせていただきましたが、つたない巻頭言で、読者の皆様には、色々とご批判を受けていたのではないかと案じておりました。  元々、機関誌というものは、決して楽しい読み物ではなく、興味深いものではないと思いますが、情報源としては重要なものだと思います。隅から隅まで読んでいただくことは難しいとしても、必要な情報には、着目していただけるものと思います。  近年、情報提供の手段が、数多く開発され、様々なルートで、情報を得ることも可能になりましたが、確実な情報は何と言っても文字情報によるものが大だと思います。文字は文化のバロメーターと言われますが、まさに、そのとおりで文字ほど確実な情報源はありません。  最近の傾向として、よく、点字離れということが言われますが、これは盲人文化の後退を示すものだと思います。活字を読むのに比べ、点字の触読は容易ではありません。人間は、ともすれば楽な方楽な方へと流れがちですが、文化はそういうものではありません。何とか点字離れを少しでもなくさなければならないと常に考えております。  そういう意味に於いて、「点字日本」が、500号を契機として、読者の皆様の日常生活の中に入り込み、より豊かな情報源として活用されるよう願ってやみません。  「点字日本」の今後益々の充実発展を祈念致します。  ○日盲連の新たな取り組み 日盲連情報部長・点字図書館長 大橋由昌  1.  竹下義樹新会長の元、日盲連は新たな取り組みとして、コミュニケーション障害者他団体との交流、及びロービジョン・弱視者対策の検討などが、JDF(日本障害フォーラム)をはじめとする、障害関係団体から注目を集めています。その一つは、聴覚障害者や盲ろう者団体との共催で、「聞こえにくさ・見えにくさ相談会」を実施したことです。日盲連は、加齢により難聴になる視覚障碍者が増加している実態を踏まえて、補聴器などの専門家の協力を仰ぎ、QOLの向上を維持するよう計画・実施したことです。  もう一つは、情報障害者ともいわれる視覚・聴覚・盲ろうなどの障害者団体が一堂に会して、「情報・コミュニケーション法」の制定を目指し、ともに協力していこうという取り組みです。テレビの解説放送や字幕・手話の導入、各種IT機器の使いやすさの実現など、共通する課題は山積しております。次にその概要を、「点字JBニュース」既報の記事を参考に記します。 2.  (1)視覚障害者の「聞こえにくさ相談会」を企画  病気や加齢により聞こえにくくなった視覚障害者の相談事業を検討するための話し合いが、東京都盲ろう者支援センター及び聴覚障害者情報文化センターの職員、そして日盲連からは私が出席して行われました。近年、盲難聴者が増加しているといわれながらも、その実態を把握できなかった現状を踏まえ、試験的に平成25年1月29日(火)に「聞こえにくさ相談会」を本会館で実施することになりました。さらには、日盲連は、点訳ボランティア活動の応用として、「指点字通訳」の普及に取り組み、盲ろう者・盲難聴者の支援体制の充実を図ることなどを提案しました。  「聞こえにくさの相談」は個人面談の形式で行い、盲ろう者支援センターや聴力障害者情報文化センターの専門スタッフが対応してくれました。補聴器の選び方や日常生活上の不便さの軽減に向けた具体的なアドバイスなど、当事者の特性に見合った解決策を探ってもらいました。当初、どれだけのニーズがあるのか不安でしたが、地方からの電話による問合せも多く、予定した人数枠もいっぱいになるほどの反響でした。  今年度も、独立行政法人福祉医療機構の平成25年度助成金による「盲ろう重複障害者の社会的孤立解消事業」として、3回行うことになりました。2回は日盲福祉センターにおいて9月・10月に、3回目は11月2日のサイトワールド会場において行います。  また、情報アクセス・コミュニケーションに関する4団体の勉強会が平成24年の下半期に2回、以後2ヶ月に1回ほどの頻度で、日盲福祉センターにおいて開かれ、障害者の情報を保障するための「障害者コミュニケーション法」(仮称)の制定を目指して、日盲連も聴覚障害者団体とともに運動を進めることになりました。席上、平成25年3月にシンポジウムを行うほか、差別禁止法成立に向けた講演会を開催することなどを決定しました。4団体とは、全日本難聴者・中途失聴者団体連合会、全日本ろうあ連盟、全国盲ろう者協会、そして日盲連です。  (2)情報障害4団体が初の画期的な取り組み  コミュニケーション障害4団体の主催によるシンポジウムが3月20日、東京都港区の日本財団ビルで開かれ、手話通訳者や要約筆記者など関係者を含む210名の参加を得て開催されました。今回の企画は、新たに単独立法としての「情報・コミュニケーション法」の実現に向け、当事者団体がコミュニケーション保障について学習しようという目的で、「3・20情報・コミュニケーションシンポジウム」と銘打って計画されました。情報障害4団体がそろって行う初めての画期的な取り組みでした。当日のプログラムは次の通り。  総合司会:大橋由昌日本盲人会連合情報部長、開会挨拶:竹下義樹日本盲人会連合会長、基調報告:久松三二全日本ろうあ連盟事務局長、記念講演:石川准氏(内閣府障害者政策委員会委員長・全国視覚障害者情報提供施設協会理事長)。  続いて開かれた情報・コミュニケーション法に関するパネルディスカッションは、コーディネーターが高岡正全日本難聴者中途失聴者団体連合会理事長、パネリストが石野富志三郎全日本ろうあ連盟理事長、竹下義樹日本盲人会連合会長、新谷友良全日本難聴者中途失聴者団体連合会副理事長、福島智全国盲ろう者協会理事(当日は体調不良によりコメントの代読)、後藤芳一日本福祉大学客員教授。  こうした企画を立てる背景には、厳しい経済事情による福祉予算の削減と、障害者製作の「総合化」という、国の社会福祉制度の再編成の流れがあるからです。今後の日盲連の運動も、複眼的視点による総合的で多様な取り組みが求められると思います。    3.  ロービジョン・弱視者対策もまた、時宜に適した活動だといえます。視覚障害者の総数に占める弱視者の割合は、厳密に言えば8割を超えているのが現状です。これまでも日盲連は、弱視者問題に取り組んできましたが、メーンテーマに据えるまでには至っていませんでした。第66回全国盲人福祉大会において、竹下義樹会長が、明言されましたので、これから具現化されることでしょう。  ーー 公共交通機関照明のあり方研究WGスタート ーー  「公共交通機関における照明のあり方の研究」第1回ワーキングが平成25年2月8日、東京都千代田区のアルカディア市ヶ谷で開かれ、調査の実施計画の説明を受た後、パワーポイントを用いた実地調査報告がなされた。委員のひとり中村芳樹・東京工業大准教授による「照明と視環境の考え方」の説明に続いて議事に入り、「地下鉄駅の光環境の動向」という議題で、(1)地下鉄の照明に係わるヒアリング結果(2)地下鉄駅の光環境調査の結果の報告(3)弱視者の旅客施設のひかり光環境における不便さについて(4)地下鉄七隈(ななくま)線の照明計画について、などを討議した。  と、「点字JBニュース」第5207号にあります。日盲連から私も委員の立場で出席していますが、審議方法もパワーポイントを用いたり、より実証的なものになっています。事実、「照明・輝度」の実証実験予備調査が3月6日、東京メトロ南北線・有楽町線の市ヶ谷駅ホームで行われ、日盲連の会員にお願いした被験者3名が一人ずつ歩いて、調査員2名が聞き取り調査とビデオ撮影を行い、基礎調査を実施しています。  日盲連も弱視者問題のプロジェクトチームを作り、実証的なデータの蓄積や、国の意見募集に対応できる委員の要請に着手したところです。  さらに、ロービジョン・弱視者の文字処理対策の観点から、「テキストデータ化」のボランティア養成に踏み出しました。予想していた以上に、拡大ボランティアグループをはじめ、発達障害者関係団体などからも注目されています。これまで日盲連が取り組んできた各種の問題、たとえばあはき問題ですとか、同行援護問題ですとかはもちろんですが、時流に即した新たな課題に、これからも日盲連は一致団結して突き進んでいくことでしょう。  ○「点字日本」500号によせて 新潟県視覚障害者福祉協会 理事長 松永秀夫  「点字日本500号」発行おめでとうございます。私が「点字日本」を読むようになってから数年ですが、毎月楽しみに読ませていただいております。日盲連の考え、活動状況、全国の団体の活動状況がわかり、参考にさせていただいております。これからも多くの情報を提供していただきますよう願っています。  私が視覚障害者福祉協会に入会したのは昭和51年でした。30歳で盲学校に入学、そこで多くの仲間に出会いました。振り返って見ると、見えなくなってからの年数の方が長くなりました。この間、何を望んでいたのだろうか、視覚障害者の困難なことと言うと、情報障害、移動障害があげられますが、視覚障害者としての社会参加、目の見える方々と同じように活動したい、多くの方々との出会い、ネットワーク作りを求めていたように思います。  自立、社会参加のポイントは、リハビリテーションだと考えます。新潟県からは中途失明者緊急生活訓練事業と視覚障害者生活訓練事業で視覚障害者の生活訓練を行っています。各都道府県の視覚障害者団体で同様な訓練事業を行っていると思いますし、また、視覚障害者リハビリテーションセンター等で生活訓練を行っていると思いますが、福祉予算の貧しい新潟県では視覚障害者リハビリテーションは寂しい現状です。  入所して生活訓練ができる施設はありません。歩行訓練士はいませんでした。以前、盲学校の職員としておられましたが、転勤でいなくなってしまいました。県に要望しても対応はしていただけず、職員とボランティアさんに研修していただき、歩行指導を細々と行ってきましたが、広い県内であり訓練希望の要望をすべて対応することができませんでした。  2年前からようやく新潟県のご理解をえて、県視障協で雇用することができるようになり、視覚障害者のリハビリテーションの環境がととのって来ました。今般、新潟県視覚障害リハビリテーションネットワーク「ささだんごネット」ができました。  この「ささだんごネット」は、ロービジョンケアの存在を知らせる啓発用パンフレットを作成し、それを眼科医が視覚障害により不自由を感じる可能性のある患者に渡し、「見えにくくなって困っていること」の解決に繋げることを目的としています。これは、米国ではスマートサイトと呼ばれ、米国の眼科学会が始めたものです。日本でも紹介され、各地に広まってきました。  新潟県では、視覚障害リハビリテーションに関わる機関・団体はありますが、個々の連携は十分ではありませんでした。医療機関には視覚障害リハビリテーションの情報が周知されておらず、「必要な人が必要な時に必要な情報を得る」とは言えない状況でした。  新潟県眼科医会のご協力を得て、パンフレットを作成し、6月に眼科医療機関に配布しました。「ささだんごネット」を構成する6つの機関・施設及び団体が、お互いの活動内容や特色などの情報を共有し、「顔の見える」関係を築くため、今後も年2回の協議会を開催し、県内の視覚障害リハビリテーションの現状に関する情報交換を行うこととしています。この構成メンバーの代表は、新潟大学眼科医師、事務局は新潟県視覚障害者福祉協会です.  視覚に障害を持った方のリハビリテーションの原点は、医療と福祉・教育の連携だと思います。視覚障害者団体として、現在の問題点は会員の減少、財政、高齢化、など多くの課題を抱えていますが、「点字日本」から全国の情報を得て、これからの団体運営を行っていきたいと考えています。  ○祝「点字日本」500号 日盲連点字出版所 一柳直治  私が「点字日本」を知ったのは、日盲連に入ってから少したった昭和51年・秋頃であった。当時の編集は、村谷副会長(当時)と国鉄(現JR)出身の参議院議員江藤智氏の私設秘書だったO氏が行っていた。  当時はまだ障害者や福祉という言葉が耳に新しく、日盲連は障害福祉年金の増額や、旅客運賃の割引、カイロプラクティックや晴眼あはき業者問題など、視覚障害者福祉の向上を求めて、全国を回り運動を展開していた時代だった。  「点字日本」の内容は、この運動の様子や、政府(厚生省、現厚生労働省)や国鉄の対応などを中心としたもので、ほかには一緒に全国を回っていたO氏が書いていた「ベルクルシリーズ」というタイトルの紀行文があった。これは全国の訪れた土地の食べ物や話題、それに歩いてみたい場所などを紹介したものだった。  平成5年に、「点字毎日」の編集長だった牧田克輔氏が日盲連の情報部長に就任、「点字日本」の編集を担当するようになった。牧田氏は点毎時代に培った豊富な情報源と人脈を駆使し、視覚障害にとどまらず広く障害者福祉全般にわたりその情報を提供した。その後体調を崩し、19年に退職するまでその活発な情報提供活動は続いた。  牧田氏の後任には神奈川県視障協理事長の鈴木孝幸氏(現日盲連副会長・事業部長)が情報部長として就任、編集を担当するようになった。内容は日盲連活動の紹介はもちろん女声向けの特集などユニークな企画を取り入れ読者の拡大を図った。  昨年事業部長に移動、後任に大橋由昌氏が情報部長に就任、編集を担当することになった。紙面もリニューアルされ、日盲連の活動や政府などの動きはもちろん、障害の壁を越えた他団体の運動の情報なども掲載、幅広い情報の提供を行っている。  インターネット社会といわれる中、昭和から平成と2世代にわたり、全国の視覚障害者に点字による情報提供を続けてきた「点字日本」をいつまでも見守って行きたいと思う。  第2章 切り抜き帳―掲載原稿より再録 (再録した原稿の著者肩書などは、当時のまま掲載しました)  ○新春随想「新しい前進の年」(昭和47年1月号より) 日盲連会長 金成甚五郎  あわただしい世相をそのまま後に残して昭和46年は静かに暮れていったが、今、新しい年を迎えて振り返って見ると、我が日盲連にとって容易ならぬ意義を持つ1年だったように私は思う。  去る昭和38年の北海道における全国大会以来、約8年間続いた全国盲人の努力が立派に実を結んで、見事な日盲福祉センターが出来上がった「年」であることを忘れている人は、おそらく1人もいないだろう。  出来上がった「センター」はその規模や大きさにおいて、必ずしも人の目を見はらせる程のものではない。これよりも大きく、かつ立派なものが、世間にはいくつでも存在するはずだけれども、盲人自らが発意し、互いの懐から零細な「金」を出し合って作り上げたという建物は、日本国はおろか世界各国にも類例がない。もし将来日本盲人の歴史を書くならば、この建設運動を特筆大書するであろう。  このように出来上がった「センター」は、極めて小さいけれども、それは日盲連という組織を通じて、全日本の盲人が等しく共有する尊い財産であると共に、後の世に私たちと同じ運命を背負って生まれてくるであろう所の盲人達への良き贈り物として、永久に受け継がれる至宝でもある。そして、このセンターが全国の会員にどれだけ強く待ち望まれていたか。また、どれほど大きな期待をかけられていたかは、その竣工を期して引き続いて行われた「落成」記念第24回全国盲人大会の史上空前のすばらしさが、なによりも雄弁にこれを語っていると思う。  皇太子殿下ご夫妻のご臨場を仰ぎ、4千人に余る出席者を迎えて、さしもに大きな日比谷公会堂も、なお狭さを感じさせるほどの盛況を呈した。  私は日盲福祉センターの竣工を祝福する殿下のお言葉に聞き入りながら、胸の中には喜びと感激が熱くこみ上げていた。両殿下がご退席の瞬間には、期せずして万雷のような拍手が沸き起こって、場の内外を揺るがした。だれの口からともなく、またどこの隅からともなく「万歳、万歳」の叫びが沸き起こって場内は「感激」と「喜び」のるつぼと化してしまった。  そして4千余の出席者は、巧まずして自ら緊張と興奮の中に、日盲連という「組織」を持つ喜びと誇りを新しく感じ取ったことと、私は固く信ずるのである。  ともあれ私は、このセンターの完成と、これを祝うすばらしい「大会」を期として、「日盲連」も新しい段階へと前進を図らねばならないと思うのである。  ○新会長就任のご挨拶(昭和47年6月号より) 日盲連会長 高尾正徳  岩橋、鳥居、金成3代の会長を中心として、多くの先輩によって築かれた名誉ある日盲連の歴史と伝統を堅持しつつ、新しい時代の要請に応えて、組織の近代化と体質の改善、会員意識の高揚に努め、少なくとも10万会員を当面の目標として、組織の拡大、強化を図りたい。幸い、有力な副会長並びに理事諸氏による執行部の発足を機会に、集団指導体制を確立し、全国盲人の世論を結集して、統一的・重点的施策の推進に邁進したい。  わが国の盲人を含む身障者対策を見るに、「身障者は低所得者なり」との前提の上に立って、障害保障ではなく羅列的な生活援護の面が浮彫りにされ、盲人自身もまた「盲人は弱者なり」との世間の観念を、何らかの抵抗もなくこれに甘んじ、自らの努力を怠り、むしろ世の同情や恩恵にのみ縋るごとき風潮が見られることは、きわめて遺憾であります。  盲人が一般社会に伍していくためには、人一倍の実力と努力が要求されます。「盲人が社会に銅貨として通用するためには、銀貨の値を持たねばならない。銀貨として通用するためには金貨の値が必要であります。」と…。  今年度実現した盲婦人家庭生活訓練事業費や、歩行訓練士養成のための予算も、ようやく政府が盲人対策の転換に踏み切った現れとして高く評価すべきであります。近年、各地において建設が進められている盲人福祉センターを中心として、お互いに学習、研修、さらに生活訓練等、各種日常活動を推し進めていくことこそ、盲人団体の果たすべき新たな役割ではないでしょうか。  失明によって失われた権利と、奪われた自由を取り戻すためには、われわれ自らの努力と適切な国家施策、さらには一般社会の正しい認識の三者が相俟って、初めてその実現が可能であり、全国の盲人が平和にして文化的な豊かな生活が営める日の一日も早からんことを念じつつ、より高い理念のもとに会員諸氏とともに前進したい所存であります。  ○編集後記「2000年を振り返る」(平成12年12月号より) 日盲連情報部長 牧田克輔  あと、20日ほどで新しい年、新しい世紀、21世紀を迎えます。皆さん準備は出来ていますか。  ところで、この20世紀から新しい21世紀への橋渡しの年である20世紀最後の年、2000年は私達にとって、どんな年だったのでしょうか。振り返ってみたいと思います。  羅列しますと、  1つ目は著作権法が改正され、パソコンの点字データ及びそのネットワーク通信が著作権にふれないと認められたことです。IT社会の到来に備えて、一つの関門を突破したと評価します。  2つ目は、交通バリアフリー法が成立し、視覚障害者の“歩く自由”が保障され“移動のバリア”が徐々に取り除かれつつあるということです。“参加”と“自立”には歩く自由の保障は欠かせません。  3つ目は社会福祉法など身体障害者福祉法が改正され、福祉が選択契約型に変わったことです。他力本願ではだめで、自分の責任において、何でも決めて行こうという新しい考えです。11月末オーストラリアのメルボルンで開かれたWBU第5回総会のメーンテーマ、「自分自身を変えて行こう」と相通じる発想です。  4つ目は、文部行政ですが、障害を持つ子供の教育の在り方を検討している専門家チームが、障害児の普通学級就学の方向を打ち出したことです。統合教育に門戸を開く画期的な提言でした。  5つ目は、わが日盲連の出来事でしたが、会長が交代し、「点字JBニュース」が電話で音声で聞ける電話ナビゲーションシステムを開発したことです。電話ナビゲーションシステム、これからのIT社会へ、そして選択契約型福祉の情報アクセスに大きな突破口を開いた画期的な事業でした。  こう見てきますと、まさに、2000年は制度的にも、また日盲連にとっても21世紀への橋渡しにふさわしい年だったといえると思います。ただ、課題は、これらの新しく出来た制度や仕組みを具体的にどう日常生活の中に取り入れて行くか、これが、21世紀初頭の私たちに課せられた仕事だろうとも考えています。  皆さん、豊かで住みやすい社会を、21世紀を築くため共に歩いて行きましょう。  ○巨星墜つ 村谷昌弘日盲連名誉会長逝く(平成13年10月号より)  1948年の日本盲人会連合(日盲連)結成以来、50余年にわたり“日盲連の顔”であり続けた村谷昌弘日盲連名誉会長(日本盲人福祉委員会理事長)は9月8日午前0時12分、大腸がんのため入院先の東京・新宿区の国立国際医療センターで死去した。80歳。  まさに巨星が落ちた。村谷名誉会長は太平洋戦争のインパール作戦(1944年)で負傷失明し、戦後1948年(昭和23年)8月18日に組織された視覚障害者の団体・日本盲人会連合の結成に加わった。以来、事務局長、常務理事、副会長を勤め、1980年から20年間会長として、以降は名誉会長として、まさに今日ある日盲連の“顔”であり続けた。  また、1995年から1997年まで日本身体障害者団体連合会の会長を兼務するなど、わが国の視覚障害者(児)福祉、身体障害者(児)福祉を築き上げたひとり。1949年の身体障害者福祉法の制定に始まり、障害福祉年金(現在の障害基礎年金)を盛り込んだ1959年の国民年金法の制定、1960年の障害者の雇用の促進等に関する法律、1970年の障害者基本法、1994年のハートビル法などのあらゆる障害者対策の立案にかかわった。  一方、日盲連組織としては、1964年に大阪から東京に事務所を移し、1966年には新宿区高田馬場に日盲福祉センターを開設、点字出版、録音テープ製作、点字図書館、盲人用具あっせん販売、インターネットを利用した点字情報ネットワーク事業などを運営する視覚障害者の一大拠点を作り上げた。また、世界盲人連合(WBU)の執行委員やWBUアジア太平洋地域のマッサージ委員会委員長を務めるなどの国際交流にも貢献した。  これらの功績に報いるため、日盲連は村谷名誉会長の胸像を作成、さる8月18日の第54回日盲連結成記念日に、その除幕式を盛大に行ったばかりだった。ただ、村谷名誉会長は健康がすぐれず、前日の17日から入院、除幕式には欠席で加療中だった。各方面で村谷名誉会長の死を惜しむ声が高い。1978年藍綬褒章、1991年勲三等旭日中綬章を受章。  ○われらが城「新センター」完成(平成20年6月号より)  日本盲人会連合が結成60周年記念事業のひとつとして、旧センター(新宿区高田馬場)から東へ約300メートルほどの新宿区西早稲田に建設を進めていた新しい日本盲人福祉センターが完成、その竣工式が5月15日、16日、19日の3日間、新センターの披露をかねて行われ、3日間で延べ300人の関係者らがその完成を喜びあった。  笹川会長は竣工披露宴で「視覚障害者(児)の福祉活動の拠点であり、情報文化の発信基地としての責任は大変重い。さらに前進しよう」と喜びの中にも決意を新たに挨拶していた。  *新センター完成は新たなスタートの年  日盲連会長 笹川吉彦  日本盲人会連合は、視覚障害者自身の手で、「社会参加と平等」、「万人のための社会」を実現しようと組織された視覚障害者の運動団体です。  昭和23年に都道府県・政令指定都市の視覚障害者団体の連合体として結成され、国や地方自治体に対して視覚障害者施策の充実を求めて組織的な活動を行う一方、障害者福祉関係施策に関する審議会や研究会等のメンバーの一員として、必要な意見や提言を行うなどの活動を続けてまいりました。  おかげ様で、会員はじめ関係各位のご支援、ご協力により、本年、結成60周年の節目の年を迎えることができ、また日本盲人福祉センターも新築竣工することができました。厚く感謝御礼申し上げます。  近年、障害者福祉をめぐる環境は厳しいものがあります。障害者自立支援法が実施され顕在化した多くの問題、国連障害者の権利に関する条約の早期批准問題、晴眼者を対象としたはり師・きゅう師の養成施設の新増設問題や、無資格者対策、視覚障害者の就労対策、情報保証等のすべてのバリアの解消など課題は山積しております。  私ども活動の拠点である新たな日本盲人福祉センターの完成及び結成60周年を新たなスタートの年として、これら課題の解消及び視覚障害者に対するサービスの提供に努めていく所存であります。  ますますのご支援とご協力をお願い申し上げます。  ○東日本大震災 笹川会長ら被災地へ(平成23年5月号より)  日本盲人会連合の笹川吉彦会長らは4月20日、3月11日に発生した東日本大震災で大きな被害を受けた東北地方の加盟団体などを訪れ、被害状況を確認するとともに、今後の支援について要望を聞いた。  訪問したのは、福島県盲人協会、宮城県視覚障害者福祉協会、仙台市視覚障害者福祉協会、日本盲導犬協会仙台訓練センターの4か所。被害状況については、今も安否の確認が取れていない方や、連絡の取れない地域があるなど、全体像をつかむにはまだ時間がかかるものと思われる。各団体とも不便な状況の中で、被災者や支援の要望についての情報収集に当たっており、日盲連では引き続き義援金の募金など支援を呼びかけていく。  *安否確認を阻むもの  日盲連情報部長 鈴木孝幸  東日本大震災で視覚障害者関係団体がさまざまな方法で視覚障害当事者の安否確認を行っている。  その方法は、団体や点字図書館にある名簿をたよりに一人ずつ電話をかけたり、場合によっては地域の避難所を訪問したりしてその安否を確認しているのが現状である。  しかし、その名簿も全体の1割、良くても2割程度であり、その他の視覚障害者の安否は確認できない状況にある。そこで、行政機関にある名簿を頼りに確認を行おうとしたが、そこに「個人情報保護」の壁が立ちはだかった。ある県によれば個人情報のため提示できないとのこと。  16年前の阪神淡路大震災の時にもこの個人情報保護が壁になっていたため、なかなか安否確認が進まず、区長の判断で公開した所があった。その区は安否確認も早く行えたが、公開を行った区長がその後、訴えられたりしてはいない。  個人情報保護法では、第二章の「行政機関における個人情報の取り扱い」で、利用及び提供の制限という第八条の第1項に、個人情報を提供してはならないとなっている。しかし、第2項第4号では、「本人以外の者に提供することが明らかに本人の利益になるとき、その他保有個人情報を提供することについて特別の理由のあるとき」には、適用できるとしている。安否確認が行えることは明らかに個人の利益になることであり、大震災の後では「特別な理由」にあたると考えられる。  更に、第4項では、行政機関の長は、個人の権利・利益を保護するため特に必要があると認めるときは、保有個人情報の利用目的以外の目的のための行政機関の内部における利用を特定の部局又は機関に限るものとして認めているのである。  行政は、法を正しく読むことが重要であり、都合よく法を解釈してはならないと考えている。  震災の後処理はまだまだ始まったばかりである。一日でも早く個人情報を関係機関に提示することを望むものである。  第3章 「点字日本」でふりかえるポスト50周年  日本盲人会連合では平成10年に結成50周年を記念して「日本盲人会連合50年史」を編纂しました。ここでは「50年史」以降の平成11年から平成25年までの、日盲連とその周辺の動きを、「点字日本」に掲載された記事の見出しからピックアップしてみました。  【平成11年】 *日盲連があん摩師等法第19条にはり師・きゅう師の規定を加える改正を求め国会請願  *日盲連が2千円札発行にあたり視覚障害者が識別できるよう配慮を要望  *共用品推進機構発足  *日本パラリンピック委員会発足  *視覚障害者議員ネットワーク発足  【平成12年】  *笹川吉彦氏が日盲連の新会長に就任  *「点字JBニュース」の電話サービス開始  *日本と台湾の視覚障害者が国際交流富士登山  *改正著作権法成立(パソコン点訳によるデータの蓄積とネットワークを通じた送信が可能に)  *改正社会福祉事業法成立(障害者福祉サービスが、障害者が自ら選択して事業者と契約する仕組みに)  *交通バリアフリー法成立(公共交通機関を利用する高齢者・障害者の移動の負担を軽減) 【平成13年】  *日盲連の村谷昌弘名誉会長が9月8日逝去  *日盲連があん摩師等法第19条にはり師・きゅう師の規定を加える改正を求め国会請願  *東京都盲人福祉センター新館落成  *第1回点字技能検定試験が東京と大阪で実施  *欠格条項見直し法成立(障害者に対する医師免許などの交付を制限した欠格条項の見直し)  【平成14年】  *日盲連の婦人協議会が女性協議会に名称変更  *日盲連が盲人用無料郵便物(第4種郵便物)制度存続を要望  *第6回DPI世界会議で権利条約制定求め札幌宣言採択  *「アジア太平洋障害者の十年」最終年記念大阪フォーラム開催  *あん摩師等法第19条にはり師・きゅう師の規定を加える請願が採択  *身体障害者補助犬法成立(盲導犬・聴導犬・介助犬の同伴を公共の施設や交通機関が拒むことを禁じる)  *郵政関連法成立(盲人用郵便物無料の維持は附帯決議に)  *改正ハートビル法成立(多数の人が利用するデパート、ホテルなどにバリアフリー化を義務付け)  【平成15年】  *日盲連が国際委員会を設置  *日盲連が障害者支援費制度実施で要望  *盲人用郵便物の名称と表示方法変更(「盲人用郵便」を「点字用郵便」に、など)  *拡大文字教科書作成の許諾不用範囲拡大  *改正公職選挙法成立(重度身体障害者対象の郵便投票に代筆を認める「代理投票制度」新設)  *全盲男性に医師免許交付  *携帯電話各社が身障者向け割引開始  *日本点字図書館の創設者本間一夫氏が8月1日逝去  【平成16年】  *50周年記念全国盲女性研修大会が大阪で開催  *50周年記念全国盲青年研修大会が東京で開催  *日本盲人福祉委員会の選挙情報支援プロジェクトが始動  *改正障害者基本法成立(障害を理由とした差別の禁止を明記し、自治体に障害者施策の基本計画策定を義務づけ)  【平成17年】  *日本盲人福祉センター新館建設へ2億円募金始まる  *日盲連がタイ式マッサージ参入阻止で陳情  *日盲連が障害者自立支援法案の早期成立要望  *障害者自立支援法成立(移動支援事業は各市町村の地域生活支援事業として実施)  【平成18年】  *日盲連が障害者自立支援法の障害程度区分など見直し求め陳情  *視覚障害者向け総合イベント「第1回サイトワールド」開催  *第8回WBUAPマッサージセミナーがつくば市で開催  *国連総会で障害者権利条約採択  *短期大学から4年制に移行した筑波技術大学で入学式  *移動円滑化促進法成立(ハートビル法と交通バリアフリー法を一本化)  *改正学校教育法成立(盲・ろう・養護学校を「特別支援学校」に)  *全国初の障害者差別禁止条例が千葉県で成立  【平成19年】  *日盲連がマッサージルーム「リセット」開設  *日盲連と日マ会が無資格業者撲滅キャンペーンで一斉ビラ撒き運動  *日盲連と日マ会がタイスパセラピー反対で申し入れ  *視覚障害者用録音図書のインターネット送信が許諾不要に  *改正障害者補助犬法成立(職場での補助犬受け入れ拒否を禁止)  【平成20年】  *新日本盲人福祉センター完成  *ルイ・ブライユ生誕200年・石川倉次生誕150年記念点字ビッグイベント開催  *日盲連が視覚障害者移動支援資質向上研修事業開始  *指田忠司氏がWBUAPの新会長に就任  *音声コード付き文書が第4種郵便扱いに  【平成21年】  *日盲連がハイブリッド車対策で陳情  *改正著作権法成立(障害者の情報アクセスを保障)  【平成22年】  *日盲連が金融機関の窓口対応改善を陳情  *日盲連が金融機関110番を設置  *改正障害者自立支援法成立(重度視覚障害者の移動支援について「同行援護」を創設) *金融庁が金融機関に対する監督指針改正(障害者の利便性に配慮求める)  *ハイブリッド車対策で国交省がガイドライン定める  【平成23年】  *日盲連が東日本大震災義援金募金と被災者支援へ要望書提出  *日盲連が同行援護制度の充実を陳情  *日盲連が韓国盲人協会とソウルで国際交流  *改正障害者基本法成立(「障害者権利条約」批准に向けた国内法整備の一環として障害者支援の基本原則などを定める)  *障害者虐待防止法成立(障害者への虐待について自治体への通報義務付け)  【平成24年】  *竹下義樹氏が日盲連の新会長に就任  *日盲連が同行援護110番を設置  *田畑美智子氏がWBUAPの新会長に就任  *障害者総合支援法成立(福祉サービスの対象範囲拡大)  【平成25年】  *障害者差別解消法成立(行政機関・民間事業者に障害を理由とする差別を禁止し、合理的な配慮を求める)  *改正障害者雇用促進法成立(精神障害者も法定雇用率の算定対象に含める)  *日本あん摩マッサージ指圧師会が公益社団法人に移行